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石狩川治水史(2)

石狩川治水史(2)

  • 第1回石狩川治水史 前編
  • 砂川市浸水の景(明治31)の写真
1898年(明治31)の大洪水
 誰も、あんなに大きな洪水が起きるとは、予想していなかった。たしかに、石狩川は毎年春になると、きまって雪解け水を氾濫させた。夏の豪雨や秋の台風で、川があふれることも少なくない。しかし、1898年(明治31)の大洪水は、誰も体験したことのないすさまじいものだった。ふだんはゆるやかに蛇行し、人びとの生活に役立ってきた川が、一転して怖ろしい貌(かたち)で襲いかかってきたのである。

 1898年は、洪水の多い年だった。4月の融雪水による洪水に始まり、毎月のように石狩川があふれた。このため、石狩平野の低地帯には、ところどころに水たまりができていた。このようななかで、8月の末に北海道を横断した低気圧は、12時間で71.5mmという降雨量をもたらした。
 さらに、9月2日から4日にかけての連続的な豪雨により、水かさを増した川は不気味なうなりを上げ、あちこちで沼が広がり続けた。いつ川が氾濫してもおかしくない状況だった。流域に暮らす人びとが、いかに恐れおののいて暮らしていたか、想像に難くない。天候の回復を祈るしか、洪水から身を守る手だてはなかった。

 しかし、人びとの祈りを打ち砕くように、9月7日、大暴風雨が襲いかかり、石狩川はついに氾濫した。神威古潭(かむいこたん)より下流ではまたたくまに川水が溢れ出し、さらに支流の雨竜川、空知川、夕張川などの水もそれに加わって、勢いを増した。あふれた水は左右両岸に氾濫し、幅約40km、延長約100kmという巨大な湖が忽然と出現した。これは琵琶湖二つ分の大きさに当たる。9月10日に、石狩川は過去最高の8.2mという水位を記録。この水が退いたのは、1ヵ月も後のことになる。
  • 砂川市街浸水の景(明治31)、岩見沢浸水の景の写真
北海道治水調査会が治水に乗り出す
 家々は一面の泥海に浸され、人びとは屋根の上に逃げるしかなかった。木々が流され、馬が流される。道は見あたらず、筏(いかだ)で往来するしかない。橋は流され、鉄道も寸断された。
 石狩川流域における死者は112人、流失倒壊家屋2,295戸、浸水家屋1万6,000戸、浸水耕地反別4万1,000ha。水が退いた後、畑は厚い泥におおわれ、春から育ててきた作物は全滅した。これから食べるものもなく、まともに飲める水もない。各地から救援物資が送られたにしても、人びとは洪水の次に、迫り来る飢えに脅えなければならなかった。  

 このころ、石狩川の流域には、毎年数万人の移住者が押し寄せ、北海道の人口の半分を占めるまでになっていた。1898年といえば、ちょうど鉄道が岩見沢から美唄、砂川、空知太へと延び、旭川まで達した年である。さあ、これから開拓が本格的に始まろうという時に、大洪水は文字どおり大量の水を差した。家を失い、畑を失った人びとのうち、開拓をあきらめて北海道を去った人は少なくない。移住者の数も激減した。

 しかし、多くの人びとは、石狩川の流域に残り、開拓を続ける道を選んだ。そして、なんとか洪水を防ぐ手だてを考えはじめた。北海道庁は、この年の10月、「北海道治水調査会」を設立し、洪水対策のための調査を開始する。
 この大洪水をきっかけに、石狩川の治水事業が、ようやく本格的に動き出したのである。


お問合せ先

建設部 河川計画課 企画係

  • 電話番号:011-709-2311(内線5327)
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