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物語

陸の孤島物語 幻の国道231号

「陸の孤島」と言われた雄冬

「陸の孤島」と言われた雄冬
 開拓使時代の主要幹線道路「北海岸線」の一部であった旧札幌留萌線は、昭和二十八年に2級国道の指定を受け、国道231号となった。ところが、当時の自動車通行可能区間は、札幌より厚田村、浜益村の一部、増毛より留萌間で、国道に昇格したとはいえ分断されており、他の区間は交通不能区間であった。昭和四十六年に厚田~浜益間に車両通行可能な道路が完成したが、なお浜益村と増毛町の境界にある雄冬地区は陸路が断たれており取り残されていた。
 このため雄冬地区は、増毛から一日一往復の定期船が唯一の交通手段で、シケでその定期船も閉ざされると、全くの「陸の孤島」と化してしまうのであった。

長い歳月の末、全線開通へ

長い歳月の末、全線開通へ
 国道昇格後、不通区間の開通に向けて工事が開始された。留萌側からは、昭和三十三年に増毛町大別苅から歩古丹間12キロメートルの工事に着手、昭和四十八年に通行可能となった。最大の難所であった歩古丹~雄冬間は、断崖絶壁が連なる急峻な地形のため、昭和三十七年以降、歩古丹、日方泊、湯泊、赤岩の4個所に上陸基地を設け、建設機械や資材などを海上輸送して工事の促進が図られた。トンネル続きのこの区間は、19年の歳月をかけ昭和五十五年十一月に供用を開始した。
 札幌側からの工事も完了し、昭和五十六年十一月十日、ついに全線開通の日を迎えた。開通式は、留萌側と札幌側の2個所で行われ、留萌側は大別苅山道入口でテープカット、参加者の渡り初めが行われた。
続いて雄冬の白銀橋で合同開通式が行われ、増毛町長と浜益村長が握手を交わすと、雄冬地区は悲願達成の喜びにわいた。 ところが、全線開通は悪夢に襲われた。開通後40日目にして札幌側の雄冬岬トンネルで崩壊事故が発生したのである。復旧工事が完了したのは昭和五十八年十二月。しかし、冬期間のため交通閉鎖したままで、開通したのは昭和五十九年五月十五日のことであった。 国道231号の全線開通は、地域住民に多大な利便をもたらしただけでなく、道央と道北の輸送距離を短縮し、また、オロロンラインと愛称される美しい海岸美が多くの観光客を呼び込むことになったのである。

道路の安全確保に向けて

道路の安全確保に向けて
 増毛から雄冬にかけては、海岸線の崖下を縫うように国道が走っており、トンネルと覆道の連続である。山側へ迂回するようなルートをとっていた大別苅~歩古丹間には、新たに大別苅トンネル等が完成し、平成4年10月に新ルートが開通した。また、歩古丹~雄冬間は高さ100mを超える海岸崖地形が点在しており、落石などによる災害が発生すると代替道路がないことから、平成5年に増毛防災工事を着手し、現在は日方泊トンネル新設による抜本的な防災対策も実施され現在に至っている。

お問合せ先

道路計画課

  • 住所:留萌市寿町1丁目68番地
  • 電話番号:0164-42-4526

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