開拓初期:空知川流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 空知川流域 洪水実績
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明治31年 空知川洪水氾濫区域
(北海道洪水概況・附図面・北海道立図書館蔵)
すべてを奪う水害の脅威 明治31年の洪水 (洪水体験談や新聞報道から)
石狩川と空知川にはさまれた、滝川の一の坂地区の市街地すべてが浸水し、空知川沿いの空知太地区の民家はほとんど流失した。また左岸の上川道路(現・国道12号)沿いで営業していた宿屋「三浦屋」も流された。明治22年、空知川下流両岸に十万都市をつくる計画で貸下げられた空知太市街は、この大水害で中断された。屯田兵村では炊き出しをしたり、取り残された難民の救出にあたったり、開基以来の大水害でありながら、犠牲者を出さずに済んだのは不幸中の幸いだった。
*参考資料/滝川市史
*参考資料/滝川市史