■開会宣言 ■基調講演(角) ■基調講演(平尾) ■基調講演(濱田) ■基調講演(高橋) ■パネルディスカッション ■フォトコンテスト結果発表及び講評 ■ポスターコンテスト結果発表及び講評 ■閉会宣言 ■開会宣言 ●司会: 皆様、長らくお待たせいたしました。山からおりてきた紅葉がまちじゅうを染め上げ、駆け抜けていきました。もうすぐ白い季節がやってまいります。 本日は、皆様、ご多用中のところをお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。これより、11月11日、「公共建築の日」を記念いたしまして、平成18年度「公共建築の日」フォーラムを始めさせていただきます。 まず開会に当たりまして、主催者を代表いたしまして、北海道開発局営繕部長の新宅浩明より皆様にご挨拶申し上げます。 ■主催者挨拶 ●新宅: ただいま紹介いただきました、北海道開発局営繕部長の新宅でございます。開催に当たり、主催者を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。 本日は、皆様、ご多忙のところを多数ご参加いただきまして、まことにありがとうございます。 この「公共建築の日」フォーラムは、明日、11月11日の「公共建築の日」を記念して行うものでございまして、今年で4回目となります。公共建築とは、いわゆる官公庁が建設した建物だけではございませんで、病院や公共交通機関の建物など様々な分野に関わる建物であると考えられます。これらの建物は地域の人々の生活に密接なかかわりを持ち、地域の活性化、街並みや景観の形成を図る上で重要な役割を果たしております。また近年、公共建築の整備や運営のあり方を考えるに当たりまして、地域との連携を図るため、説明会やワークショップなどが開かれまして、完成後の運営についても、利用者である地域の方々の意見を取り入れる努力がなされております。 このようなことを背景にいたしまして、公共建築に対する人々のより一層の意識の向上を図り、また国民生活により密着した公共建築を目指し、平成15年度に「公共建築の日」が創設されております。 本日のフォーラムは、「歴史的建物と個性あるまちづくり」をテーマにパネルディスカッションを行うことになってございます。このテーマの背景といたしましては、例えばこの赤レンガ庁舎を初めとする歴史的建物が、当初の用途に限定されることなく、地域の歴史を語る資産となり、人々に愛され、親しまれていること、あるいはまちの活性化、再生において、歴史的建物の重要性がますます高まっていることなどがございます。 本日のコーディネーターには北海道大学大学院の角教授、パネリストにはシー・アイ・エス計画研究所の濱田会長、平尾建築事務所の平尾代表、家具工房santaroの高橋代表の皆様方にお願いしております。パネリスト、コーディネーターの皆様には、ご多忙のところお引き受けいただき、誠にありがとうございました。本日はよろしくお願いいたします。 また、パネルディスカッションの後には、高校生、専門学校生、大学生を対象に募集いたしました「公共建築の日ポスターコンテスト」の審査結果発表、そして一般の方々から応募いただきました「公共建築フォトコンテスト」の審査結果の発表も予定しております。 最後になりましたが、本日のフォーラムが公共建築にかかわる皆様方のお役に少しでも立てることを祈念いたしまして、挨拶とさせていただきます。(拍手) ■パネルディスカッション ●司会: それでは早速、フォーラムに移らせていただきます。 本日は、「まちの再生と公共建築〜歴史的資産と個性あるまちづくり」と題しまして、4名の方々にパネルディスカッションを行っていただきます。 では初めに、コーディネーターとパネリストの皆様方をご紹介させていただきます。 一番窓際の席にいらっしゃいます、北海道大学大学院工学研究科教授でいらっしゃいます角幸博先生です。(拍手) 角先生は、日本近代建築史の研究に歴史的建造物の保存と活用、また歴史的資産を生かしたまちづくりと市民活動や、サハリンの日本期の建築活動などについて調査・研究を進めていらっしゃいます。北海道文化財保護審議会会長、札幌市都市景観審議会委員、建築史学会常任委員、そして日本民俗建築学会理事としてもご活躍なさっていらっしゃいます。 続きましては、パネリストの方々です。 まずは、シー・アイ・エス計画研究所代表取締役会長、濱田暁生様です。(拍手) 濱田様は、建築設計からまちづくりへと領域を広げ、北海道美しい景観のくにづくり審議会委員や、豊浦町まちなみアドバイザーなどをお務めでいらっしゃいます。江差町歴史を生かすまちづくりや、アルテピアッツァ美唄整備計画など、施設計画、景観、まちづくりの実務に携わっていらっしゃいます。 そして、お席がちょっと離れますが、平尾建築事務所代表取締役、平尾稔幸様です。(拍手) 平尾様は、「北海道の空気感に調和する建築」をモットーに、北海道大学廣田記念剣道場、北海道後志家畜保健衛生所などの設計を手がけていらっしゃいます。1990年の北方型住宅賞を初め、94年、建築学会北海道建築奨励賞、2003年、札幌都市景観賞、そして今年、2006年には、増毛町國稀酒造建築群にて北海道赤レンガ建築賞を受賞なさっていらっしゃいます。 そしてもう一方、家具工房santaro代表、高橋三太郎様です。(拍手) 高橋様は、家具工房santaroを設立後、1991年にかでる2.7のホワイエベンチを、96年には札幌コンサートホールKitaraの大ホール、小ホール客席椅子のデザインを手がけていらっしゃいます。「santaroといえば椅子」というイメージが定着し、単に座るだけのいすではなく、空間の表情をやわらげたり引き締めたりと、建築に密接にかかわりながら制作活動を進めていらっしゃいます。日本インテリアデザイナー協会会員、北海道工業大学建築学科の非常勤講師もお務めでいらっしゃいます。 では、以上の皆様でディスカッションを進めていただきます。 なお、会場にいらっしゃるお客様でコーディネーター、パネリストの方々への質問をお持ちの方は、受付の際にお渡しいたしました質問票にご記入の上、会場内スタッフにお渡しいただきたいと思います。お手を挙げて合図をいただいても結構です。取りに伺います。 なお、スケジュールの都合上、質問の受付は3時15分までとさせていただきます。どうぞご了承くださいませ。 では、コーディネーターの角先生、どうぞよろしくお願いいたします。 ●角: ただいまの紹介いただきました角でございます。こういったすばらしい歴史的な建物で今日のようなフォーラムを開催することができることは、大変光栄に思っております。 今日はごらんのように、私を含めて4名のパネラーが最初にお話をして、それから私がコーディネーターということで、3名の先生方と意見交換というような形で進めてまいりたいと思うのですが、私は最初に、歴史的な資産に関しまして、これまで失われた歴史的資産、さらに維持管理されている歴史的な建物、登録文化財制度、それから北海道遺産、産業遺産の評価といったような一般的なお話と、今日のフォーラムにかかわるイントロダクション的なお話、さらに問題提起というようなことでお話をさせていただきます。その後、平尾さんには建築家の立場として、北海道遺産にも選ばれております増毛を対象とした、具体的にかかわった事例についてもお話をいただきますし、私のお隣の濱田さんには、プランナーとして多くの歴史的な景観の修景ですとか、さまざまなアドバイスをなさっているわけで、そういった経験の中から、特にお願いして江差を中心としたまちづくりについてお話しいただき、高橋さんには今日は、北欧の産業遺産の活用の事例を中心としながら、デザイナーの立場から見た歴史的な資産のとらえ方などについてお話ししていただこうと思っております。今日は、ちゃんとした打ち合わせはあまりせずに、皆さんがそれぞれ普段考えていることをベースにやっていこうと考えていますので、最後までよろしくお願いいたします。 では早速、角のスライドからお願いいたします。 最初に、多少暗い話になるかもしれませんが、私たちの身の回りから失われていった歴史的な資産というようなことをいくつか紹介します。 例えば、これは藤学園のキノルド記念館なのですが、1924年にマックス・ヒンデルという建築家が設計した建物でございました。北海道を代表する建物でございましたが、1999年の2月に解体が決定されました。我々の研究室で調査をさせていただくと同時に、実は保存運動をしてこの解体に随分反対したのでございますが、最終的にはこのような形で、かなりショックな壊され方をしてしまいました。今、レプリカが建っておりますけれども、当然、学校の事情ですとか所有者の事情等々もありまして、一概に我々がすべてを残せと言うことはできないのですが、今、改めて考えて見ますと、本当にこれでよかったのかという気持ちであります。つまり貴重な財産が、学校のものであるというだけではなくて、言ってみれば「公共」という考え方があると思います。普段、私たちの目にしている現象というのが実は公共ではないか、ということで挙げさせていただきました。 同じような事例で、北1条にありました日本基督教会の札幌北一条教会でありますが、これも1979年に解体されました。解体する春に「北一条教会堂を保存する会」というのができて、高倉新一郎先生が「この建物を残せないなら、札幌はもう文化都市と呼べない」という呼びかけで、随分多くの文化人の方々の賛同を得ましたけれども、残念ながら、種々の理由で……。今日は一つ一つの背景をお話ししている時間がありませんので、ちょっとフラッシュバック的にお話ししますが、解体の大きな理由は、一つは老朽化しているというお話しでしたが、実は解体に1週間以上かかりました。今のような産廃法があるような時期ではなかったのですけれども、実は非常にがっしりとした構造体で、本当に老朽化していたのだろうかというようなことも背景の中にありますが、私は役目柄なるべく解体の場所に行って、記録写真を撮ることにしているのですが、どんどん気が重くなるような仕事をずっとしております。 同じく、ちょうど今の北一条教会の向かい側にありました札幌逓信局の建物も、昭和14年にできた、言ってみれば北海道のモダニズムの代表的な作品だったと思いますけれども、これも今はなくなっております。 同じようなことは、実は個人の住宅でもあります。個人住宅というのはやはり個人のものではございますけれども、そこに住んでいる界隈の方々にとっては、やはり原風景の一つとしてあるわけで、それをどのように考えていくかということもあります。 これは南6条西20丁目にありました大原さんというお宅なのですが、2003年に解体されました。まだ住人が住んでおられるときに中に入ったことがあるので、その写真と解体中の写真を比較しておりますけれども、こういうすばらしいインテリアを持った建物が札幌からある日忽然と消えていったということに対して、本当にこれでよかったのかということもあります。 まだまだたくさんあるのですが、一方では、当然、それぞれの所有者の方々の努力によって残されているものがありまして、これは北星学園の創立百年記念館で、かつての女教師舘です。最初、壊そうかということでいろいろと検討が行われたのですが、最終的には理事会で、これを引き屋して、建物の敷地の中でちゃんと保存していこう、しかも記念舘として再生していこうということで、右側にありますように非常に悲惨な状態でしたが、左のような非常に立派な姿に改修されました。1998年には登録文化財として登録されまして、現在に至っています。 ここにおられる方々はもう既にご存じかもしれませんが、文化財の登録制度というのは、文化庁が始めた文化財保護の一つのヒットといいましょうか、大変すぐれた歴史的な資産を次の世代に残していくための法律だったと思います。新しい発想で、非常に乱暴な言い方をしますと、外観は残すけれども中はかなり自由に使っていい、ということです。そのことによって、今まで失われていた近代建築が、さまざまに用途を変えながら使いこなされていくということが現実にあります。文化庁は「10万件登録したい」といってやっておりますが、かなりの数が登録されておりまして、その登録のデータを見ますと、私たちが全然知らない建築家の名前が出ていたりする。つまり、地域でさまざまな活動をしていた人たちの様相というのがこれからまた少しずつ解明されてくる。そういう学問的な背景もあるかと思います。登録文化財の基準というのは、細かいところは別として、まず建ってから50年を経過しているというというのが一つの大きなチェック項目になります。具体的な形では、2度とつくれない作品であるとか有名な建築家が設計したとか、細かいことはありますけれども、50年という、つまり半世紀たったものが登録文化財の一つの資格になるのだということは、非常に重要なことだろうと思います。 そういった形で、登録文化財から、さらに国の重要文化財になったものがあります。これは遺愛学院の女子高等学校の本館なのですが、我々が調査のときには登録文化財だったのですが、調査をして報告書を上げましたところ、文化庁が「重要文化財としてでも十分に評価できるのではないか」ということで、指定していただきました。 これは、ただ単に残しているのではなくて、中は非常にきれいな形で使っております。毎日、高校生たちが掃除をしていますし、別段、意図して廊下が映っているようにして写真を撮っているわけでなくて、ぴかぴかの状態で使っています。生徒たちも大変この建物が気に入っておりますし、場合によっては親子三代でこの学校に通っている方々もいらっしゃるわけで、やはり歴史というか、記憶というのは、こういったものがあって、そのものにかかわり合いながらできるというのも一つあると思います。場合によっては精神論で語られることもあり、精神論も大事ですけれども、具体的なものを目にすることで、一層その思いが強くなるのではないかと思います。 もう一つ、北海道が選定しております「北海道遺産」があります。当初は25でしたか、今は52になっております。例の北海道のラーメンからいろいろ入っておりますけれども、いくつかは建物、もしくは歴史的なものがあります。後でお話しがある平尾さんの対象としようとする増毛町の歴史的建物群もここには選ばれています。 その中で私がちょっと気になっていたのが、この増毛の小学校です。昭和11年にできたものですが、ごらんのように非常に大きな木造小学校ですし、外観も、もしかすると今日おいでの方々がごらんになって、「こんな学校で自分たちは育ったな」という方がたくさんいらっしゃると思いますが、かつて当たり前のというか、普通にあった建物群が、今やほとんど失われてきています。気がつくと、こういう現役の木造小学校というのは非常に少数派になってまいりました。実際に現在も使われておりますし、体育館も懐かしいトラスの構造がくっきりと目に映る、そういうものですが、今、この建物をどうしようかといういろんな議論が出ております。もちろん、その時々に合った扱い方をしていかなければならないのですけれども、ここもやっぱり親子三代、ここの学校に通った方々がたくさんいらっしゃるのです。そういった歴史をきっちりと評価しながら、使えるところを使う、それから、それ以外のところはまた別の用途にするという形でやっていくというのも一つの方法もしれません。 いいか悪いかは別として、苗穂小学校のようにばっさり切ってしまっていますけれども、かつての木造の一部分を残して、そこに近所のおじいちゃん、おばあちゃんに来ていただいて、郷土の歴史を学ぶ場として、昔の小学校の教室の中で社会教育をするというようなことで使っているところもあります。私のような立場から言うと、こういうのはあまりにも乱暴に切り過ぎている感じはありますけれども、しかしながら、わずかながらでもかつての歴史を残しながら使っていくという姿勢というのは、やはり評価すべきだろうと思います。 本当は、今日は濱田さんがこういう話をしたかったのではないかと思うのですが、後で濱田さんのお話にも出てくると思いますアルテピアッツァ美唄です。栄小学校という炭鉱時代の小学校、昭和25年に竣工して、56年に廃校になった小学校の校舎ですけれども、世界的に有名な彫刻家の安田侃さんの彫刻が常設展示されておりますし、1階には栄幼稚園という幼稚園が入っています。もちろん市民ギャラリーとしても使われています。これもやはり、学校建築という一つの記憶を地域の中でどう生かしていくかということが背景の中にあるのだろうと思います。 それで、今の栄小学校というのは炭鉱にあった学校ですから、広く言えば「産業遺産」の一つというふうにも考えることができるわけです。ダイレクトに産業遺産が保存されている例としては、美唄の炭鉱メモリアル公園があります。非常に大規模な上風坑と下風坑、地下に空気を入れたり、それから排気をしたりするための巻き揚げ櫓が記念物として残されています。 住友にも同じような立坑の跡があって、「東洋一の立坑」と評された非常に規模の大きなものですが、平成6年の閉山まで使われたもので、こういったものが空知管内にたくさん残されているわけです。 こういった産業遺産をどういうふうに評価したらいいのだろうかということで、あるときにお話をしたことがあって、繰り返しにはなるのですが、当然、いろんな価値評価があると思うのですが、これは別段産業建築でなくて、歴史的な資産を評価するときにも少し文言を変えれば使えるという気がします。例えば産業史的な価値、つまり産業や技術史を語る上で大切であるとか、生産システムの一端を象徴しているものだとか、それから群として産業システムをあらわすものであるといったようなものを細かく見ていくことが必要ですし、さらには生活文化価値。そこでは単に生産だけではなくて、生活をしていた人たちがたくさんいたわけです。それで、生活やコミュニティーを語る、それから産業の繁栄や文化を語るといったようなものもあるわけです。例えば、産業システムをあらすものとしては、こういう炭鉱メモリアル公園の中にあります、先ほどの巻揚櫓のほかに、原炭ポケットといったような、鉄筋コンクリートの非常に迫力のある建物が残されていたりします。炭鉱の文化や繁栄を語るものとしては、これからの行き先が大変悩ましいところでございますが、夕張にある「鹿鳴館」と言われている北炭鹿ノ谷倶楽部がありますが、こういったかつての炭鉱の非常に豊かな生活ぶりをあらわしているもの、さらには三井美唄の互楽館というのは、封切り映画とか芝居を札幌よりも早く展開していたといったようなこともあります。そういったものも一つの炭鉱の繁栄や文化を語るもの、もしくは産業の繁栄や文化を語るものとしてあると思います さらに、歴史的な価値、美的な価値、景観的な価値というふうなことも言えると思うのですが、歴史的な価値は、先ほどお話しした登録文化財に準ずるような指標を書いております。では美的な価値というのはどういうものなのかということですが、例えば非常に特徴的な材料でつくられているとか、外観がすぐれているとか、デザインがすぐれているとか、それから構造美だとか、構築物としての迫力があるのだということも、つまり手っ取り早く言えば、絵にかいてみたい、写真に撮ってみたいというのは、既にそこに美的な価値があるのではないかと思います。 それから、先ほどの櫓なんかでもおわかりのように、ある自然の中にそれがあることによって、景観のランドマークになっているとか、それから特色ある景観が構成されているということもあると思います。 実際には、大体これで価値評価できるのですけれども、事例として、これは今や使われなくなった美唄にある沼東小学校ですが、このモダニズムたるや、今は全くだれも使っていませんし、行く人もいない、何かミステリゾーンかなんかにあるみたいですけれども、こういった建物も、実際にちゃんと評価していかなければならないものだろうと思います。 最近、さらにプラスアルファが必要ではないかというふうに思い出しました。つまり、こういった建物のいろんな歴史的な価値とか、そういったものを言っていますが、それよりも何よりも地域住民にとってどういう意味があるのか、それからどう愛されているのかというようなことは実は非常に重要なことで、名前がいいかどうかわからないのですが、「思い入れ価値」―つまり、地域の方々がそれにどのように思い入れを持っているかということ。それからもちろん、今日のテーマの一つになるかもしれませんが、今後のまちづくりとかそういうところに活用するための価値、そういうものがあるのかどうかというようなことも評価の軸として考えることができるのではないかと思います。 時間があまりないので少し早く進めますが、これは函館ヒストリープラザです。この建物の保存云々というよりは、これは今でも半分倉庫として使われています。半分を現役倉庫として使いながら、半分を市民に開放する。これは考えようによっては大変危険な部分の接点もあるのですが、よくあるレンガの倉庫はもう不要になったので、それは全部、例えば観光資源にしようというのではなく、使える部分は使っていこうという姿勢が、ほかの事例にはあまりないものだろうと思います。 ついこの間、スペインに行ったときに見た光景です。マラガ(Malaga)というまちで再開発をしているのですが、外壁だけ残して、中は完全にリニューアルしようとしているのです。多分、日本だとこういう形ではできないし、もっと補強を目いっぱいしないと壁は崩れてしまうと思うのですが、ささっと相当簡単に壁だけを残して、4周全部壁を残しています。ですが多分、彼らにとっては機能を新しくすることも必要だけれども、これまであったファサード、外観をきっちりと残すことも彼らのテーマにあったのだろうと思います。こういう工事が随所で見られました。その辺は、日本ですと特別な雑誌に取り上げられたりするわけですけれども、ごく当たり前の形でされているという点が、大変びっくりいたしました。 札幌のファクトリーにありますレンガ館なんかも、レンガの全面保存と再生というものに挑戦しているというのは皆様方もご存じだろうと思いますが、ここでもう一つ僕が感心したのは、ここのサルベージアートです。つまり本来捨てられるべき機械とか機械のパーツも、ここではドアのノブに入れたり、芸術作品としてそこに新しい命が与えられて展開しているところがあります。すべてがすべてそういうふうにサルベージアートで残せばいいということではないと思いますが、こういった建物だけではなくて、その中にあった一緒に過ごしてきたさまざまな歴史ある機械といったものにも、きっちりと次の役割というのを与えるべきではないかと思います。 札幌にあります「札幌・ふるさと文化百選」に選ばれています三谷牧場の牛舎ですが、先日行きましたら、何と中が喫茶店になっておりました。なかなかいい空間で、僕が前に見たときは―言い方が悪いのですが―とてつもなく汚らしい牛舎だったのですが、中が見事に再生されておりまして、こういった使い方も、これはレンガ倉ですけれども、大変すぐれた再生法だと思います。 今、私が気にしているのは、既に内部では解体工事が始まっているようでございますが、拓銀の本店です。もちろんこういう現代建築をどうしていくかということは大変難しいことなのですが、これは1961年にできまして、63年の早い時期に建築業協会賞(BCS賞)を取ったものです。BCS賞というのは、クライアントと設計者と施工者の三者を表彰するという、最近はよくありますが、当時としては大変画期的な賞であったわけです。そういったものを受けていますし、メンテナンスが非常によくなければこの賞を受けることができないわけです。拓銀さんがまだ営業している1993年にたまたま写真を撮らせていただいて、内部の営業室も許可を得て撮らせてもらったものです。立派なホールもございますし、さまざまな形で市民にとって親しまれてきたものの一つだろうと思います。実は、この前身の明治42年にできた建物が一時期、宮の森に移築されていました。ところが、これが2002年に取り壊されてしまいました。これは1998年に写した写真なのですが、歴史的な建物という価値でいいますと、若干コンクリートで補強したり、もしくはかなり新築されている感じがないわけでもないのですが、明治期の雰囲気をよく残しています。 拓銀の建物は明治のものも昭和のものも全部、私のところでいろんな資料等々集めていたのですが、今の明治期の建物が大通公園で壊されて宮の森に移るときに出たさまざまな建築の部品をたまたまある先生が持っておられて、その方が来年退職なので、つい先日、「おまえのところで預かれ」といって持ってきたわけです。立派な棟瓦があったり、スクロールといった飾りもあって、これを今どういうふうな形で保存していくか。私のところで保存していくわけにもなかなかいかないものですから、考えています。 それから、これは、先ほどの拓銀の本店の中に資料室があって、その中に保存されているものでした。これがその後どうなったのか調べましたら、これは幸いなことに開拓記念館の方に寄贈されておりまして、きっちりと保存されているそうでございますけれども、こういった棟札、上棟式のときに上げた札です。この赤レンガの中にも道庁の再建のときの大きな棟札が飾られていますが、こういったものも所有者の方の中で「これはもう要らないや」という方が随分おられて、私が一度預かりましたら、その後、「自分の家を壊すのだけれども、角さん、預かって」といって、私のところでおはらいをして預かったりすることもあるのです。ちょっと話が脱線しますが、こういった、言ってみれば建築にかかわるさまざまな資料というのも、実は一つの歴史的な資産として重要なものだろうと思います。 ちょっと中途半端な話になりましたけれども、先ほどの取り壊された部分から、今、こういうパーツに至るまで、さまざまな形でこれからどうしていくかということも含めて私は憂えることもいろいろあるものですから、若干問題提起も含めてお話しさせていただきました。ありがとうございます。(拍手) それでは次に、平尾さんに、建築家の立場でお話をしていただきたいと思います。
●平尾: 平尾建築事務所の平尾でございます。よろしくお願いいたします。 最初に、増毛のご紹介をさせていただきます。 これは増毛にある厳島神社という神社に奉納されている絵なのですけれども、明治10年、福山住人、桂何たらさんが寄贈した絵でして、安藤広重ではないと思うのですけれども、確か江戸の最後、明治の前に安藤広重は死んでいますから、その流れをくむ方が増毛の話を聞いて書いた絵だそうです。実際に見て書いているわけではないそうですが、ここに「天塩國増毛郡秋味大漁之圖」とありまして、小さな集落があって、陣屋風の建物があって、日本の国旗が立っています。 江戸の中期からずっと続いていた弁天様が江戸の後期に厳島神社という形になって、ここに明治10年にできていた。その後、この山の方に少し位置を変えて、現在も続いているわけです。 これは黒船ではないのですけれども、大型船、中型船、小舟の連携プレーによってシャケをとっている姿。こういった明治の頭の時代。 それから時を経まして、現在の増毛の姿でございますけれども、明治の建物、大正、昭和の建物といったものが連続して、街並みを形成している。ふだん我々はどちらかといいますと、特に日本人はそうかもしれませんが、時間というのは流れていくものだという感覚がありますけれども、こういう街並みを見ていきますと、時間というものは流れていくだけではなくて、積み重なっていくものでもあると。そういう積み重なっていく感覚というものが、特に増毛なんかでは連なってきていて、そういう感覚を持ちながらまちと接していくということが大事なのだろうと思います。 駅前にある木造3階建ての富田屋旅館と観光案内所です。 それから、「風町食堂」というのは、映画で使われたときの看板です。先ほど角先生のお話の中で、美的価値の要素として絵心とか映画心というお話がありましたけれども、増毛のまちも今まで、「魚影の群れ」のワンカット、それから高倉健の「駅 STATION」、それから最近では、ちょっとマニアックな映画ですけれども、緒形拳主演の「歩く人」というのがありまして、そういった中で映画にも何回も使われてきています。この二つの建物に関してはもう現役では実際には使われていなくて、ここは観光案内所になっていますけれども、かなり老朽化も進んで、今後、微妙な問題を抱えているというところです。 これは旧本間家(商家)が構えていた土地と建築物を七、八年前に町に寄附して、町が重要文化財として改修した建物です。 商家のあった、連続した、老朽化した部分を撤去し、新しくした部分を加えながらリニューアルといいますか、リノベーションとまではいきませんが、今は展示施設として使われています。 古い部分と、例えばこういう同じ入り口の左右ですけれども、こちらは新しくつくっている部分です。割と自然に見せながら、新しい入り口をつくったりしながら進めてきた建物です。 これは増毛小学校です。何回も行っていますけれども、行くたびに迫力というか、力強さを感じます。 ここからが國稀酒造さんになります。6年前までは本間酒造という形で小さくやっていたわけですけれども、「生産能力を大幅にアップしながら、全体的なつくり直しをしていきたい」という依頼がございまして、もともとあった店舗の部分、それから倉庫、それから後ろの石造の仕込み蔵、こういったものを残しつつ、新しく土地を手に入れながら……この辺は新しく建てた建物でございます。それから、駐車場を広くとったりしながら、増改築を繰り返していくわけです。増改築のやり方としていくつかあると思います。既存のものを生かしながら、そこに新しい要素を加えることによって新たな価値が生まれる場合もありますし、逆に言うと、既存のものをそのまま連続性を最重要視して、手を加えたように見せないやり方。ここでは明らかに、設計したという痕跡を残さない、むしろ初めて来た人にとってみれば新しい建物も古い建物も区別がつかないような状況をつくっていくという、それも國稀さんの希望であったと思いますし、大きなコンセプトとしてそのことを大切に考えました。 もともとあった店舗の部分です。それから、明治から建っていた石蔵倉庫です。ここはボリューム的には一つの建物なのですけれども、米倉、事務所、原料処理のあたりを、建築を分割することによって今までのスケール感を連続させて、なおかつ、表から見える部分に関してはできるだけ古い素材を使って建てていくという状況です。駐車場もかなり広く要求されたのですけれども、もともとあった古材を倉庫から出してきて、こういった看板類に使用しているというスタイルです。この辺では、いわゆる今までのスケール感の連続というものを意識しています。 これがもともとあった店舗で、ここは観光バスの乗務員の方の休憩室であったり、水飲み場であったり、こういうものを新しくつけ加えているのですけれども、もともとあったのではなかろうかという雰囲気をつくろうとしているわけです。このゾーンから手前は道路が拡幅改修されておりまして、それが仕上がっている状況でございます。 このポストもここに置くべきかどうかちょっと迷うところなのですけれども、江戸の人から見ればちょっと驚く光景ですけれども、今の人から見るとトータルで感じ取れるのではないかということで、割と違和感なく存在しています。 当初はここに入り口がありまして、大きな団体のお客さんなんかが来ますと、もう中があふれて外にはみ出てしまうような状況でしたけれども、それを、中のスペースを広くとるために入り口をこちらにずらしまして、少しバリアフリーも考えたというつくりかえをしております。 杉玉……酒林というのでしょうか、新酒ができますとこれが緑につけかわって、それを知らせるというシンボルでございます。 暑寒別の伏流水を流してある水飲み場なのですけれども、このあたりはちょっと難しいところで、なかなか古い雰囲気が残りませんけれども、こういったところは昔の酒樽のふたを使ったベンチということでございます。 古い建物、新しい建物ですね。 こちらは事務所等の入り口ですけれども、駐車場からもろに入る視線を防ぐために、もともとあったホオノキらしいですが、それを使って目線をカットしています。 古い部分、新しい部分……。 事務所棟などの軟石は、もともと建っていた倉庫の解体した部分ですとか、札幌軟石で建っていた倉庫を札幌から買い取ったものを運んだりしています。 米蔵は、米があるときは米蔵ですけれども、米がない時期がございますので、その時期はギャラリーとして使っています。 米蔵の上です。一つの建物なのですけれども、ちょっと強引に形をつくっている部分がございます。これももともとあった倉庫が寄せ棟なので、雪が落ちてくるのを防ぐのと換気を確保するために切り妻に増築しているのですけれども、それもできるだけ自然な形でやっております。これはどうということのないところなのですけれども、実はここの部分がトイレとして増築された部分です。で、自然に見せるためにいろいろやっていますけれども、どうしてもこことここが違和感があったものですから、この辺はちょっとツタの助けをかりてごまかしているといいますか、このぐらいの量になりますと、冬になって葉っぱが落ちても何とかさまになる。もともとあった古い壁に新しくあけた開口部だったりします。それで、後ろの方の見えない製造部門では、一般的なコストでしっかりした建物にしていかなければいけないという部分です。 内部も、手を加えた部分がありますけれども、できるだけ自然に見せつつ……。これは手を加えていない部分ですけれども、もともとこういう感じで、この試飲コーナーのような雰囲気でやっていた小さな酒屋だったわけですけれども、ほのぼのとした雰囲気を変えずに新しい売り場をつくっていく。実際にこういった構造補強とかが入っていくわけですけれども、もともとの雰囲気をできるだけ変えない。こういった土のところに、昔の鏝絵があったりします。こちらは新しくつくった壁ですけれども、そういうところにも古い素材を使っていって、痕跡を残さないといいますか、石蔵の展示ですね。お酒の展示。 新しくつくったベンチと古い壁。 仕込み蔵は、床のレベルを変えて作業性をよくしています。 実際の製造部門としては、最新式の製造システムが中に仕込まれている。 米蔵があいている時期にはこういったセミナーを開いてみたり、それから新酒ができますと、地域の皆さんとともに「『國稀』一杯やろう会」という形で、林社長がきき酒大会で優勝した女性を表彰している姿です。 こういった形で、一つの企業ではありますけれども、街並み、それから地域の人たちに対して積極的にかかわりながら生きていこうとしている姿であると思います。 そういったわけでして、日本最北の酒蔵、國稀さんを、今後ともよろしくお願いしたいと思います。ありがとうございました。(拍手) ●角: それでは次に、濱田さんにお話をいただきます。 ●濱田: 濱田です。実は最近、のどの手術をしたものですから、以前の美声が失われております。それで、それを補うためにスライドをたくさん用意してあります。音声吹きかえは無理なのですが、字幕をつけてあります。(笑い) ぱっぱっぱっと次々にスライドを映しますので皆様には字幕を読んでいただきながら、江差町の事例の紹介をやりたいと思います。 「ソフトパワーをきっかけにした町の再生」: 江差町歴史を生かす街並み整備事業の事例 ◇地域に眠っていた「歴史的資源」の発掘・再評価 ◇地域の誇りがソフトパワーに!:「まつり」と「うた」 ◇“きっかけ”の仕掛けと“動かす力”としての人材 ◇地域に住み続けるためのいとなみ ◇魅力に磨きをかける“こだわり”
かつてはこのようなまちでした。今はここに国道が通っていまして、この水際線は失われています。ただ、こちらに通ったおかげで、内陸側のまちなみが守られたということにもなりました。ここが残ったまちなみで、こういう古い建物が残りました。 「江差のまちづくりを動かすきっかけとなった幾つかの出来事・取り組み」: 1.江差らしさの見直し・発掘・再評価 2.民間の活力の台頭とその成果の評価 3.民間の取り組みへの行政による支援・連携
私が江差のまちづくりにかかわるきっかけになった幾つかの出来事、取り組みがあって、それが、後ほどお見せするような「歴史を生かすまちづくり」ということが行われることにつながりました。 最初にかかわったのは1980年ですから、26年前、四半世紀前になります。で、地元から「追分会館」なるものを建てたいが、整備するに当たってどのようなものにしたら良いだろうか? ということで、相談が来ました。下案は真四角の箱でしたが、このようなものでは、おかしいのではないか?ということで、さまざまな議論がなされました。 それで、地元の方たちが「江差らしいものにしたい」「追分にふさわしいものにしたい」とかなりこだわっていらっしゃいましたので、そのことについての様々な議論がなされました。それと同時に、その議論の過程の中でさまざまなことが起こってきました。民間でも「江差らしさ」にこだわった自主的な建物整備の取組みが始まり、公共施設の中でも、地域らしさを生かしたデザインの試みが続けられました。後ほど幾つかの事例をお見せします。 民間では、ご記憶のある方がいらっしゃるかもしれませんが、「北前船の回航イベント」をやりました。それから、その時の一回限りのイベントのつもりだったのですが、回航に併せて行われた“いにしえまつり”が大変好評だったものですから、それをこれからも「春の祭り」としてずっと続けて行こうということになりました。 それから、地元経済人の方々がさまざまな動きを始めました。ここにいらっしゃる角先生とか私たちを引っ張り込んで、いろんなことを仕掛けてやり始めました。 これが先程述べました「追分会館」で、真四角の箱ではおかしいということで、再検討して実現したものです。こういうふうに、通り側に「切り妻」を見せるような、少なくともそういうシルエットの屋根型でいこうということで組み立てられました。当時、設計事務所業界の仲間からは「公共事業で、瓦屋根で、コンクリート打ちっ放しの建物にしてしまうとは、何ということをやるのだ」と言われましたけれども、今であれば割に当たり前の手法になって来たのではないかと思っています。 江差のまちは地形的に海岸段丘で、いわゆる2階建ての構造になっていまして、上から見るとこういう風に見える訳です。「ここに現在の建物がないときに、周辺ががこのように屋根の連なりで形成されているのだったら、ここが箱だとおかしい」というような議論がなされて、現在のこういう外観になったわけです。 先ほど言った、民間の動きの事例です。特段「何とか事業」とかということではなくて、いろんな方がそれぞれにいろんなことをやりました。昔のものを守りながら、それをまちづくりに生かして何とか使おうではないか、という試みです。 「北前の回航イベントといにしえ祭り」。「公衆電話ボックスで山車を模ったもの」。若者達が自分たちでお金を出し合ってつくった。この方たちも今ではみんな、いいオヤジになっていますけれども・・・。 「地域の誇りであるお祭り」。これは北海道遺産にもなっています。やっぱり子供たちが参加しているということが、すごく意味があると思います。 もう一つが「江差追分」です。もう40年以上、全国大会が続いています。これは見る人が見ればわかるのですが、かなり歴史的な「時代ものの写真」です。 このような様々な取組みが続けられて来た、とはいいながら、当時のまちはこのようなかなりひどい状態。古いものと新しいものが混在している。景観の意識がない。見てください、この辺……。どうなってしまうのだろう。
“歴まち”のスタート: そのような中で、「歴まち」:歴史を生かすまちなみづくりモデル事業がスタートしました。先ほど言ったように民間の仕掛けの講演会のときには角先生にも登場していただいて議論が進められました。それから道の「戦略プロジェクト」にも指定されて、北海道としてのガイドプランができました。ここから私もお手伝いしました。 海岸線に道路が通ったのでここは残っていたということで、ここを何とかしようということです。 このようにかなり狭くて、複雑で、という街区構造に特徴があったわけです。 先ほど言った2階建ての構造。上から見おろされる。また下から見上げられる関係がある。国道がここに通ったので、この道道沿いが残った。 この道道整備の話が起こって、拡幅するとさっき言った江差らしい良さが失われる。どうするのが良いのだろう? ということになった訳です。 当時の“名文句”で―「理想」と心中するわけにはいかない。だから、今の我々の時代としては、妥協して、拡幅して、その際に「ほんもの」を残す。地域らしく暮らし続けられる状況を整える。それを実現するためには、条例と地区計画でしっかりつくっていこう―ここが論点でした。景観だけではなくて、居住条件、交通安全を含めた考え方。それから、やることは「地区整備」、「公共施設整備」、「民間の建物整備」だけれども、行く行くは「地域の振興」につなげるのが目標です。「江差らしい景観の演出」だけではなくて、「地区機能の充実、サービスの向上」だとか、「居住環境の改善」だとかによる「地域としての魅力アップ」をねらって、トータルで戦略的にやろう。道路の拡幅と建物だけではありませんよ、というのが“みそ”です。 で、こういうふうにまちなみが整えられました。大事なことが二つあります。 先ず、長期計画に基づいて、継続的にやったこと。元年から16年まで、毎年毎年いろんなことをやりながら、去年完成しました。 それから、「事業」と「制度」をこれだけ多く組み込んだ複合的事業として実施しました。 道路(国道〜道道〜町道)整備、緑地整備、文化財〜歴史的建物保全整備、急傾斜〜地滑り地区整備、上下水道整備、無電柱化〜街路グレードアップ整備、公共施設整備、それから民間の記念碑設置事業、山車蔵整備、それから都市計画法における地区計画制度、と建築基準法による建築協定、江差町の景観条例という複合的なことを今回一遍にやろう、これが「平成の大事業」ということで、これだけやれば、街路の幅が広がってちょっと雰囲気が変わったけれども、後世の人は許してくれるだろう。将来、事情が許せば本物を曳家して、また戻してもいいのではないか。そんな議論をしました。
「まちはどう変わったか―」: 売上げ○倍増?といった大きな声では言えない話だとか、江差らしいファッション衣料店もキツイけど頑張っている例だとか、商店街の姿も変わりました。それから角先生のご専門の「歴建」の保全に関しても、このように“テンプラ建築”の再生の例もあります。テンプラの「ころも」、すなわち、ここをはがすと、実は後ろにこういうものがある。それをきれいにします。これが隣の建物ですから、同じ場所であることがわかりますよね。とても「ころも」の下がこうなっているは思えない状況ですけれども。 それから、国の重要文化財と並んで、お隣でお酒屋さんが細々とやっていました。今はこれ:つまり由緒ある看板は残して、改修されていますが、実はひっそりと喫茶店をやっています。中には気がつかなくて帰られる方がいらっしゃるのですが、隠れ家的存在です。 それから、新たに観光客を相手にした和風の手工芸品を売る江差らしい商売を始められた方。これは先程のお店の息子さんが立ち行かなくなった既存の商売を見限って業種転換して蔵を活用した蕎麦屋を始めた例。この蔵に別棟の調理場部分をつけ足して、手打ち蕎麦の店をつくった。その隣にも蕎麦屋が出来ました。競合は気にせずに切磋琢磨しながら頑張ろう、“江差には蕎麦が似合う”のだから、という感じです。 それから、雑貨屋さんなのですが、こういう私設の“街角博物館”のようなことをやってくれています。で、声をかけると途中で断るのが大変なぐらいに、熱心に説明してくれます。この様子を見て、まちの人がいろいろなモノを持ち込んで、コレクションがどんどん増えています。 新たな産業を起こそうという、塗装屋さんグループの試みです。漆を使って、地域の解体建物の古材を活用して家具や工芸品をつくっています。「本業より楽しい」「これで儲かれば言うことない」などと言って楽しんでおります。これが今後、商売になりそうかなと期待しているところです。 商店だけでなく事業所の建物も頑張っています。これは道新さんの支局の建物。駐車場は後ろに持っていってくれました。 江差は和風だけではなくて洋風や和洋折衷の建物もあって、時代の重なりがおもしろいまちです。 商店だけではなくて、住宅もこんなぐあいにまちなみのイメージに協力しています。 これは国道沿いの北電さんの建物。
「地域の気質〜こだわり」 やっぱりまちの人びとのこだわりというものがこういう「歴まち」事業の推進ということにつながったのではないかという事例をこの後しばらくお見せします。 ○江差らしいストリートファニチャーの設え:ひの木アスナロ、提灯、暖簾、竹籠照明 ○町を訪れる人たちへの江差らしい情報発信 ○江差のまちと永年交流のある画家柄澤照文氏のオリジナルキャラクターや似顔絵が 随所に ○モダンでありながら、和風のテイストで演出。 紫陽花が似合うシックな小宇宙。 手前の牛乳箱も、ガラス瓶入りゆえに許せる・・・? ○時には街灯を消して・・・明け透けでない、闇の奥行きが、好ましい。 ○地元の竹籠屋さんが作った灯りが、夜のまちを彩る・・・ ○その竹籠屋さんの店先にAALTOのポスター。 さすがに、文化度が高い! ○“お祭り好き”で“芸達者”:公式行事もこのとおり・・・ ○まつりへのこだわりの“遊び心”は、こんなところにも・・・犬にはっぴを着せてしまう
「手法〜試み」:街並みをどうつくったか―。 ○「なおす?」 「のこす?」 「もどす?」の試み 江差町の歴まち事業前の姥神神宮前界隈:移転・改修前の一番蔵/解体前の北山家の蔵等 迷いながらやった例。よく見ると、蔵の向きが変わっています。こちらの建物はなくなっています。形も違っています。界隈の風景としては何とかなりました。 ○「なおす」、「のこす」の事例 さっきの斉藤竹籠屋さん。「絶対、切ったりはしない。曳家する」といって、やりました。補償金は安くなってしまいましたけれども、自費でやりました。「さすが斉藤さん」。みんなで褒めました。 ○「なおす」の試み ちゃんと暮らせるようにするにはサッシをアルミにしたり、最低限の改修はやりました。このアルミ建具はチョッと今風だけれども、まあいいか・・・。風見鶏も建て主がつけたいというのだから認めよう。 それから、「公共建築フォーラム」ですから、これが出てこないと今日の話にはならない。江差における取組み例をつけ加えます。
「公共建築における取り組み」:
同じ公共建築でも江差だと一味違ってきます……
○公共施設のコンバージョン:「旧役場庁舎」の再生=「町会所:夢会館」 これは昔の役場。これを壊して、これをはがして、こう戻しました。これは町民みんなで、ワークショップを繰り返しながら、「壊してしまえ。駐車場にしてしまえ」というところからスタートして、結果的には新たな機能を与えながら建物を残して、オリジナルの形にもどすことになりました。 隣接したこの旧郡役所の建物も残っています。先ほどの國稀さんの例がありましたが、幾つかの建物が群となって界隈を形成することも大事です。 この群役所とこの旧役場:町会所と、この後ろに中村家、この重なりが見えるようにしようということです。 この椅子は、後ほどお話される三太郎さんの作品です。実は側面の道路と高低差があるので、それを利用してアルコーブを仕組んだということです。 気づかれたかどうかわかりませんが、高さが微妙に違います。三太郎さんの気配りです。旧役場の建物の改修後の中はこんな状態で多目的に活用しています。ここには蛍光灯は似合わない、というところが「ミソ」です。 ○歴史的資源のコンバージョンによる公共施設整備:九艘川公園土蔵トイレ 蔵を改造したトイレです。 ○「もどす」の事例:旧檜山郡役所 「何か、こっちの古いままの雰囲気の方がいいのだけれど」と言う人もいます。 このように、江差では長い年月をかけながら町に残されている古いもの、歴史的な資産を活かしながらまちづくりが続けられてきました。 とはいいながら、そのプロセスでは、スライドのように失われたものもたくさんあります。そういうことも経験しながら、それに学びながら、少しづつ取り組んで来て、今日があるということです。 江差の事例は、以上です。時間がありませんが、先程角先生からご紹介のあった美唄についてのスライドも準備してあります。当初は、やるつもりはなかったのですが、公共建築のあり方を考える上で、つくるだけではなくて、維持していくということ、それから地域に愛される施設になっていくというところも重要です。これはその試みです。
甦った廃校 「アルテピアッツァ美唄」: ◇炭鉱の閉山に伴なって生徒が減り、廃校となった小学校: ある意味では、産業遺産とも言え るが、素材〜環境としては決して、特別ではない施設=「典型的な小学校」 ◇「芸術文化交流施設」としての意義づけを明確にしつつ、さまざまな事業財源による公共事 業として柔軟に対応 ◇現役の彫刻家=安田侃の主体的表現の場として、高い志に基づいたコンセプトと妥協のな い空間整備 ◇地形的領域感と周辺の自然環境を活かし、過度に手を加えない押さえの利いたデザインで、 懐かしい雰囲気を保つ ◇あるべき姿の実現へ向けての強い意志と常に進化させる心がけに基づく継続的な取組み (1991〜現在〜将来) ◇共感者が地域を越えて広がり、支援組織をNPO法人化 ⇒*指定管理者制度によってNPO法人が運営管理
先ほど角先生もお話されていましたが、これはある意味では産業遺産でもあるのですが、素材としては全く特別ではないです。文化財でもなんでもない、「典型的な小学校」。 だけども、そこに新たな機能をきちんとつけて、いろんなお金をつけて、公共事業ということでやっていけるのではないかということで、市の方と頭をひねりながらやりました。それから、一番大事なところは、現役の彫刻家がみずからかかわってくれた。妥協しない。絶対これでなきゃというところをきちんとやりました。それから、周りの環境もきちんと生かす。先程、平尾さんも言われましたけれども、過度に手を加えない。残すところはちゃんと残していく。 これも、91年から現在までの継続的な取組みで、これからまだまだやり続けるということでやっています。
○小学校の校舎・体育館とグランドが姿を変え、魅力的な彫刻公園に この施設が好きで、応援してくれる人が地元だけではなくて、全道、全国にいます。その方たちが応援してくれる組織をつくっていこうということになって、NPO法人化されて2年になります。今年の4月からは指定管理者制度で、市は「維持管理」と言うのですが、我々は「運営維持管理」と言ってそれを担っているところです。 もとの小学校の体育館と校舎が残っていました。グランドがありました。そこがこうなってしまいました。最初、私たちがこの場所に初めて行った頃、ここはこのような藪でした。 これが割に新しい全体像です。 ここがグランドで、校舎がここにこういうふうにあって、体育館。ここは既になくなっていて、この棟とこれが残って。この辺に公営住宅があって、当時は、この辺に何と火葬場がありました。「なくなればいいね」と言い続けていたら、移転が決まってなくなりました。今は駐車場に変わったり、作品が設置された場所になっています。ここには体験工房と喫茶が建設中で、来年春にはオープンしますから、ぜひよろしくお願いします。 こういう元の学校敷地エリアと後ろの山までを使って、これだけ多くの安田侃さんの彫刻があります。世界最大の安田侃コレクションです。 ○必要機能を増築した体育館と彫刻の微妙な調和 ○必要機能の追加・増築に際しては元のまま(オリジナル)と後から付加したものを明確にしな がら、違和感のないように・・・ ○懐かしい木造校舎をそのままに・・・ ○不思議な魅力の放物線の格子天井 この天井があったから美術館にできる!と思ったというきっかけです。最初に入ったときに、「わあっ」と思いました。 ○子供達の生活空間の中に抽象彫刻が・・・ ○天井に隠されていた架構を露出させ、間仕切壁を取り払って展示空間に広がりを出す・・・ ここはちょっとだけ技術的なお話です。もとはこれと同じだったのです。点検のために天井の上に上ったらこうなっていたので、「残そうよ」「はがそうよ」といって、間の壁を取ってしまってこうしました。 ○現役の幼稚園が併設され、園児たちは安田侃氏の彫刻の中で遊び、学び、育つ
それから、ここには幼稚園があります。幼稚園の子は毎日、この彫刻にさわりながら中に入ります。 ○子供達の生活の痕跡を敢えて残す・・・ この壁には名札が残っています。たまに「あっ、私の!」と言う人がいます。さっきの増毛の手を入れすぎない雰囲気とすごく共通しています。 ○懐かしい空間に不思議な彫刻が・・・ ○夏には子供たちが水遊びを楽しむ。 帰りたがらずに親を困らせます・・・ ○心の和む風景 だれが撮っても絵になるという不思議な空間です……。 ○このかけがえのない空間を保っていくには、人手とお金がかかります。 財政状況の厳しい美唄市に代わって、寄付金やミュージアムグッズの売上げ、そしてNPOの会員〜ボランティアが頑張って支えています。 これは水路と池の水を抜いて掃除をしています。いつもきれいですけれども、人手と金がかかります。美唄市は財政が厳しいから、寄附金とミュージアムグッズを売って、NPOの会員とボランティアが頑張っています。 ○このかけがえのない空間を守り、 後世まで引継ぎ、更に充実した場となるように活動して いくのが 「NPO法人 アルテピアッツァびばい」です。
このところをよく読んでおいてください。(笑い) NPOのブログがありますので、ブログを見ていただくとすごく楽しい情報がたくさんありますので、よろしくお願いします。 大変長くなり時間を超過してしまいましたが、以上です。(拍手) ●角: ありがとうございます。江差プラス、先ほど私がお話ししたアルテピアッツァのこともお話しいただきました。 では、最後になりますけれども、高橋さんにお話をお願いしたいと思います。 ●高橋: 高橋です。よろしくお願いします。 濱田さんのお話で大体、今日のいいところというか、総括が全部出た感じがあるのですが、私の方は雰囲気が変わりまして、フィンランドのヘルシンキから南西に80キロか90キロぐらい行ったところにあります小さな村を紹介します。 ここは、フィスカルス(FISKARS)と書いていますが、もともとは約350年前、日本で言うと江戸時代です。そのときにできた製鉄所の跡なのです。多分、フィンランドで一番古い製鉄所の跡がこうなりました。その工場跡が約20年前に完全に閉鎖されまして、その後、10年、20年たってその製鉄所跡がどう変わったかということをお見せします。 まず、大きさを説明しますと、左側が入り口で、ずっと奥に行きます。それで、このスケールでいいますと、端から端が千五、六百メートル、天地で言うと五、六百メートルです。入り口でバスをおりて歩くと、一番奥まで1.5キロぐらいですから、ぶらぶら1時間ぐらいの距離です。 フィスカルスというのは村の名前なのですが、このはさみ、見たいことはないですか。オレンジのはさみで、これは1960年初めにデザインされたはさみなのですが、このはさみをつくったのがフィスカルス。もともと製鉄所ができた村の名前なのですが、今はアメリカに本社を移していますから、英語読みで「フィスカース」と言うらしいのですけれども、この企業自体はガーデニング用品で世界一のシェアを持っているとか、とにかく世界的に事業所を展開している世界的な企業だそうです。 これは昔の写真です。フィスカルスというのは製鉄所ということで、まず水力がある、それから木炭にするために豊かな森がある。川があり、森がありということで、製鉄の村です。それから、鉄鉱石としては、スウェーデンから船で持ってきて、それを鉄に加工して、また川を下って、ストックホルムもしくはエストニアの方に運んだということです。 これが今の状態。後で歴史を少し詳しく説明しますけれども、私が行ったのが2003年の夏です。ですから、夏の絵なのですが、かなり観光客が来ていまして、こういうふうにすごく立派な建物が残っています。ちなみにこれは1826年、ですから約180年前にできた学校なのです。時計塔を持った学校跡。その学校跡が今こういうふうに、ここに住むクラフトのアーチストのショップになっています。 教室とか当然、ショップでつくった建物ではなくて再利用ですから、小さな部屋がたくさんあるのです。それがまた、おもしろく展示されています。 村の産業としての歴史を言いますと、製鉄所ができたのが1649年。産業形態がだんだん変わりながら、一つのターニングポイントといいますか、変わってきたのは1822年、180年ぐらいたった後、ある経営者がかわるのです。そのときにその経営者が、先ほど出てきました学校をつくります。それで、製鉄からだんだん製造に変わったり機械のメーカーになったりして、この村はだんだん機械、例えばフィンランドに一番最初の機械工場ができたのが1837年、翌年に最初の蒸気船のエンジンをつくっているのです。フィンランドの中では最初の製鉄所であったり、最初の機械工場であったり、産業としては先端的な歴史を持った村でした。会社は生産の規模を上げるために、だんだん工場を移転するのです。移転したのが1973年、30年ちょっと前。工場を近くに移転して、なおかつその何年後か後に会社機能全体を移転して、閉鎖します。その後に、跡地をどうしようかといういろんな考えが始まりまして、結果として今、こういうショップができてきました。 少し今の状態をお見せしますと、こういうふうにこの村に住んでいるクラフト、例えば織物、木工、セラミック、金工。アート、クラフト、あと執筆業なんかもいるのですかね、そういうクリエーティブな人たちによって、20年ぐらい前に閉鎖された製鉄所跡が再生したということなのです。 だんだん外に向かっていきますと、まず森がきれいなのです。僕は家具をつくっている関係でストリートファーニチャーが目に入るのですが、おもしろい仕掛けが随所にあります。 入り口の方向に戻りながら左手に川を見て、川を渡りますと大きな建物があります。 これがレストラン。もともとは銅鍛冶小屋、銅を加工する加工場だったらしいのです。それがこういうふうにレストランになって、観光客がいっぱい来てこんな感じでにぎわっているのですが、その裏側に銅鍛冶小屋を利用したクラフトマン、アーチストの展示会場になっています。これは大体5月初めから10月初めにかけてやっている、年1回の大きなクラフトアートの展示会があるのですが、それの会場風景です。こういうふうに建物がすごくまたおもしろいのです。大きな銅鍛冶小屋の跡ですから、当然、天井も高いし、それをうまくつくってやっているのです。 ここでは詳しく述べませんけれども、まず基本的にはつくっている作家のレベルがすごく高いですね。先ほどの製鉄所ができて、いろんな変遷があって、経営者がかわってという話をしましたが、この展覧会を企画しているのは協同組合なのです。その協同組合ができたのが1994年です。それで、最初、工場跡をクローズした段階で、新しい住民が移動してきたのが20年ぐらい前。それで、そのアーチスト、クラフトマンたちが自主的に何かしようということで始めたのが、この展示会です。1994年が第1回目で、その2年後にその運営団体として、今言いました協同組合組織、1回目、2回目までは実行委員会形式でやっているのですが、ちゃんと組織をつくろうということで、だんだんこういうふうに協同組合形式になって始まりました。 雪が解けて、明るくなって、北欧の一番いい時期、5月初めから10月初めぐらいは外がやっぱり気持ちがいいのです。こういったアートワークが随所にあります。 ちょうど今のレストランがあって、銅鍛冶小屋があって、銅鍛冶小屋を利用した展示会場があって、その裏側にこういったガラス工房。あの大きさの中にいろんな工房、アトリエが点在しているのです。ちなみに、最初のときの協同組合のメンバーが30人ぐらいなのですが、だんだんふえてきまして、今では約50人。それで、住民で500人ぐらいということです。それから、古い建物をうまく利用して、美術館とかレストラン、ホテルもありますし、同じようにフィスカルスの歴史的な遺産といいますか、何があったかということを残すために博物館もありまして、こんなふうにはさみ。この絵が一番最初だと思うのですけれども、製鉄所の昔の説明風景が出ています。 これが最後の地図の部分。すごくここがうまくいった要因がいくつかあると思うのですけれども、まず一つは、「場の持っている力」があるのです。1820何年に経営者がかわって建てた学校があります。クロック・タワー(時計塔)を持った学校。それが最終的にショップに変わるのですが、19世紀の前半、経営者がかわったときにいろんな建物が建っています。その設計にかかわったのが、ヘルシンキの都市計画のかなりの部分を担ったと言われているエンゲルという建築家で、ですから、あるレベル以上の「場の持った力」の中に当然、自然環境とかいろいろあるのですが、やっぱりいい建築が残っていたということがあるのです。先ほどの江差もそうですし、平尾さんが言われた増毛もそうですけれども、残す価値があるものが残っていたということがあって、それに対して人がどうかかわっているかということがあったと思います。 当然なのですが、展示、もしくは現在500人ぐらい住んでいるのですが、100人ぐらいの構成員の協同組合があって、そのアーチスト、クラフトマンのレベルが高いのです。当然、ベースになる部分、アートとかクラフトによるまちづくりということでいえば、ベースになるレベルが高いということも一つあると思います。 それから、二つぐらいポイントがあると思うのですけれども、1600年の半ばに製鉄所ができた。そこでいろんな変遷があって、1820何年に経営者がかわった。その経営者が建物をつくった。こういう残りの建物をつくったということが一つ。 それから、工場閉鎖が1988年でしたか、そのときの不動産管理をして、会社の副社長……一つ忘れたのですが、この村全体がフィスカルス1社が持っている場所なのです。細切れではなくて。ですから、一元管理がしやすかった、計画がつくりやすかったということがあって、88年に管理を始めた担当者が、最初の思惑としてアート、クラフトによってもう一度再生しようということで呼びかけをして、いろんなプロジェクトを始めて、最初、アートの企画展があったのですが、それが蓄積されて、結果として今年が13回目。先ほど写真でお見せしたクラフト展が毎年1回やられている。ですから、こういうのがうまく成功するための要因としては、仕組みづくりといいますか、ある物があるということが一つだけれども、やっぱりちゃんとそれを「仕組む」といいますか、どういうものがあって、どういうことをするためにどういう仕組みをつくるかという、まさにその辺は濱田さんが言われたように、あそこまで頑張って、いろんなことを整理しながら、地道にディスカッションして仕組みをつくっていくということが、ここの場合でもすごくあったような気がします。 とにかくこの村は今、かなり話題になっていまして、この写真は、この夏に東京のオゾンで同じような展覧会がありまして、それの図録から撮っています。そのときは行政関係の方がかなり集まって、日本でも話題になっていますし、ヨーロッパでもこの事例、アートの協同組合によってまちが再生したということで、ある面、いろんな話題、問題提起をしている事例だと思います。後でまた何かあれば、補足します。(拍手) ●角: どうもありがとうございます。 会場の方々も大変お疲れかもしれません。皆さん予定の時間より若干押してお話ししていますが、内容が内容といいましょうか、いろいろと含むところがいっぱいで……。 今、私を含めて4名のパネラーがお話ししたのですが、パネラー同士で質問といいましょうか、先ほどの話の中で「この辺について聞きたい」ということがありましたら、ご発言願いたいと思います。 ●濱田: 三太郎さん、あのフィスカルスというのは、完全に民間企業だけでやっている? ●高橋: 民間です。 ●濱田: 公共は一切、入っていないのですか? ●高橋: まず、所有関係は完全に民間です。民間の世界的な企業で、例えば倒産とか業績不振で村を出たということではなくて、業績拡大のために工場移転、本社機能移転ということで、お金があるのです。完全に不動産管理を社外でやっているということがあって、ですから文化的な遺産、意識が当然ありますから、それをちゃんと使うということで、持っている組織側がうまく仕掛けをつくっていったということがあります。 あと当然、最初の仕掛けの中に、先ほどの協同組合でやっているクラフトの展示会の前に、四、五年あったアート展があるのです。それはそこの住民ではなくて、フィンランドのアーチストを集めてきてやった展覧会で、それに対してすごく成功例があったということで、今度、行政が補助金を出すとか、もしくはフィンランドという国自体が海外からアーチストを招聘して、そこで展覧会を企画するということで、そこの場の持っている力をもっとブラッシュアップしていったということがあるのです。民間と行政を含めてうまくできたという成功例かと思っています。 ●平尾: 濱田さんにお聞きしたいのですが、江差の場合の建築協定の中身の中で「江差ならでは」というものがありましたら、お聞きしたいのです。 ●濱田: 細かいことを言うともうたくさんあるのですが、さっき言ったように条例をつくりました。条例の中で「江差らしさとは」ということで幾つかのことが述べられています……。それで、後ほど角先生にも補ってもらいたいのですが、江差らしさというのは和風だけではないのです。洋風もあるし、和洋折衷もあるし、だからそれを含めての言及ということになります。だから、ルールとしても結構複雑です。だけども、もとの姿を守るところとそうでないところとをうまく使い分けながらやっていく考え方です。 ただ残すだけではなくて、そこの中で暮らしていく、商売していく、営みを続けていくということがあるので、そのために必要なところ、止むを得ないところは少し大目に見ようということです。これは当時ご指導を頂いていた北大の足達富士夫先生にも、そう言っていただいたので、我々としては少し気が楽になってやったのです。だから、よく見ると、変えられているところがあります。 もう一つは、スタートしてから議論したことが外壁材です。さっきさらっと「地区計画」と言いましたけれども、近隣商業の純防火地域というところなものですから、延焼の恐れのある部分の外壁には木は張れないのです。スタートしてしばらくは、今日、道庁の方もたくさんいらっしゃいますが、特例で何とかならないものかと、かなりかけ合っていたのです。今だったら“特区”でできるかもしれませんが、当時は難しくて、認められませんでした。こんなことを言うと差しさわりがあるかもしれませんが、担当者ごとに、ずっとだめでも、担当がかわったらまた行ってみようと繰り返しやっているうちに、国からいくつか条件が出てきました。例えば、地区の住民が全員合意。1人でも反対だったらだめ。それから、もし火事になったときに、自分たちで責任をとれる体制をつくること。防火水槽だとか屋外の消火栓だとか、防火のためのさまざまなものをちゃんと用意すること。それから、自分たちでちゃんと自主消防のシステムをつくるみたいなさまざまところも自己責任でという条件が出されました。多分、条件を出された側は「ここまで出したらあきらめるだろう」「無理だろう」と思われていたのではないかとも思うのですが、コミュニティーの力で突破したのですね。極端に言うと「反対したら村八分」というぐらいの脅しをかけて、全員賛成というところまで持っていったので、(行政としては)「そこまでやられれば認めざるを得ない」ということでした。そんなことがルールとしては大きいかと思います。 ちょっと質問の趣旨から外れたかもしれませんが、条例とか要綱のあり方より、地域の意識とコミュニティーの力が再確認できたということです。 ●角: 平尾さんは江差には、(いにしえ街道が)完成されてから見に行ったことは……。 ●平尾: あります。 ●角: 多分、いろんな感想をお持ちだと思うのですが、たまたま私もちょうどいにしえ街道のオープニングのときに参加させていただいて、濱田さんが言われたように、物すごく大量のエネルギーであそこまで行ったというのはわかっていながら、私個人としてはやはり不満のいっぱい残るところで、かつての持っていた空間性みたいなものが失われてしまったということがあります。もちろん、そこで生活している方々は自分たちの生活をちゃんと維持できるような形でされているのだけれども、例えば先ほどの時代の表層の中の洋風のところの、例えばデザインのレベル……と言い方は変……先ほど三太郎さんが「いいものが積み重なることで、もっといい環境なり空間ができる」という話をされた中で、本当にこれでよかったのかな、というのも正直なところあります。ただし、それぞれの建物はやはり個人の資産の中で建てているから、限界があるわけです。そこを、よそ者といいましょうか、僕なんか研究者がどこまで言えるかというのはいつもジレンマがあるところです。それに絡めて先ほど平尾さんが、「例えば建築家がデザインするときには、歴史的なものを扱うときに二つある」と。一つは、頑張って、対比できるようなものでやるか、一歩下がって、つまり既存ものを意識しながら既存に合うようにしていくという。世の中の建築家の方というのはどっちを選ぶかというのを絶えず苦労されていると思うのですが、逆に、一歩引いたときにやったときに、建築家としてフラストレーションみたいなものが起きないのかという、妙な聞き方なのですが、その辺はいかがでしょうか。 ●平尾: フラストレーションはなかったのですが、むしろ楽しい部分もあって、設計の痕跡を消すということはやってみれば難しいことで、江差の場合は許す部分もあると。國稀さんの場合は現在、一つの物件ですから、かなり濃密にやっているわけで、昔風でありながら、映画のセットだったり、テーマパークのようなことになってはいけない。そこの微妙なところというのは図面ではあらわせないというか、いろんなノウハウがあるところだとは思います。そういうことをいろいろやっていく中ですから、むしろフラストレーションというよりは、常に、やらなければいけないという気持ちの方が強いという感じです。 ●角: 高橋さんなんか、例えば平尾さんの先ほどのようなものをごらんになったり、江差の歴史的なもの、そしてたまたま成功例の海外の例を見てこられたりして、その辺で何か感じたことはございますか。 ●高橋: 一つは、スケールの問題。江差でもそんな大きなまちではないですよね。國稀さんはまさに一つの個人商店というか、個人カンパニーの改修。ですからその場合も、一つの会社が持っている、たかだか千五、六百メートルの500メートルぐらいの大きさの村の中で、かかわる住民もせいぜい500、多いときだって1,000という規模なわけです。ですから、やっぱり仕組みをつくるときにちょうどいい大きさがあるというか、大きさによって仕組みづくりが違ってくると思うのですけれども、ずれてしまうかもわかりませんけれども、滝川で五十嵐さんが塾をやったり、美唄もそうです。そうすると、僕らがたまに札幌から見に行くと結構活気があるのですが、そのとき僕はある人に言ったことがあるのだけれども、札幌から行っている人たちが頑張って動いているわけです。そのある人に僕は「滝川もいいけれども、札幌で何かやらないの?」と。(ところが)札幌に持ってくるとスケールがでかくなってしまうのでなかなかやりづらいということがある。でも、実際、僕らは札幌に住んでいるから、どこかで何かおもしろいことをしたいということがあるわけです。ついこの間終わった札幌デザイナーズウイークとか、いろんな動きもあるのですけれども、スケールの問題というのが一番大きいと思っています。 ●角: 滝川の五十嵐さんの太郎吉蔵なんかも、私、取材で行ったことがあるのですけれども、先ほど高橋さんが言われたように、そのものが持っている力があればあるほど、それは普遍的に、周辺に物すごく影響を与えるという気がしていることと、それにかかわる人も元気が出てくるというのがあって、もしかすると建築もそうだしクラフトもそうだと思うのですが、そのものが持っている質とか価値みたいなものが、周りの人も含めて十分に評価されるべきものがあれば、それが一つの大きな力になると思うのです。これは心の中では「公共建築もそうだぞ」と思いながら言っているのですが。 ●高橋: 住んでいる人が住みたいまちに帰るということがあります。今度、僕らのものづくりの現場で言うと、基本的に自分が欲しいものをつくる。だから、まず自分だと思うのです。僕もかかわったことがあるのですが、一時期の一村一品運動みたいに、自分らが食べないようなものを変につくったり、地元の人が使わないようなクラフトをつくったりということがあったわけです。そういう失敗例がいっぱいあるわけです。その辺を隠さないでちゃんとみんなで言い合って、基本的には自分が欲しいものをつくる、自分が暮らしたいまちをつくるみたいなスタートがまず、自分の家族とか子供とか、自分が立つ場所を1回きちっと据えないと、何となく上すべりになってしまって、もったいないことがいっぱい起きてくるという気がします。 ●角: 今のところで、濱田さん。 ●濱田: 先ほどの角先生の評価というのは、私も共通で持っているところがあります。特に洋風がひどいのです。そのあたりは、今の三太郎さんの話ではないですが、そこを言える人が言ってあげる。それで、直すときとか、次にレベルアップするということはやり続けるべきだと思います。 実は私なんかは、こうやってよそへ行くと江差の自慢をして、地元に帰って……とつい言ってしまうのですが、地元江差に行くとうるさいことを言う不思議な立場になっています。ただ、地元の人たちも「これをこのままやったらあいつがうるさいから、やる前に相談しよう」と言ってくれるようになるのです。「おれたちはこれで良いと思っているけれども、相談した方がいいぞ」と。やっぱりそういうことも大事なことではないかと思います。 江差で言うと、スタートして数年の物件は、試行錯誤でしたから特に課題が多くありました。みんなで「これではだめだ」という評価もしながら、あとの人たちは「ああならないようにしよう」という、本当に厳しいやり方もしました。最初の方たちは「わからない中でやったのだから・・・」と言いながらも、「いつかあいつらに負けないように直してやろう」と思っていると思います。そのときに、我々がまたきちんと最初からお手伝いするということになればいいと思っています。 ●角: ありがとうございます。 たまたま今日は私がコーディネーターということで、公共建築という大きな枠組みの中でも歴史的なお話に偏ることは許していただきたいと思うのですが、先ほど藤やいろんな話をしたときにも、プライベートな資産であっても、まちの中に建った瞬間からある種公共性を帯びてくるし、もっと広く言えば、公共建築の中に入ってくるのではないかという気がするのです。そういう意味では、歴史的な資産も公共の財産の一つということになってくるのですが、今日も4人の方がそれぞれいろいろお話しした中でも、地域の記憶とか個性をとどめていく、もしくは次の世代に伝えていくというようなことというのは、テーマの背景にあるような気がしていて、それぞれの立場で歴史的資産、ないしは公共建築、ないしは公共性というもののあり方というか、すぐ結論になってしまうかもしれないのですが、最後にバタバタとお話しするよりは、そこでまたディスカッションした方がいいと思いまして、その辺を平尾さんの方から投げかけていただければ。 ●平尾: 増毛の場合ですと、実際、まち全体の中で見ると、歴史的な建物はそれほどたくさんあるわけでもない、数少ないのだけれども、割と現役だし、それから國稀酒造さんのようにまちに中心に産業的な位置づけになっていますと、オーナー自身も代々、「まち」ということの意識を強く持っておられますから、そういう中で進めてきた部分もあるわけですさらに今後、増毛小学校とか駅前の富田屋旅館といった中でどうやっていくべきかということは非常に地元も悩んでいますので、そういう中で、もともとは小学校以外は民間の建物だけれども、それが公共的なものであるという意識を持つまでは来ているのだけれども、その先、それをみんなでどうやって守っていくか、使っていくかということがこれから大切なのだろうと思います。公共的意識まではあったとしても、その先の問題が、今度は大変だと思います。 ●角: 先ほど三太郎さんが言われたように、まちのスケールみたいなものがあるというお話があったのですが、平尾さんが言われたように確かに、僕も増毛にいろいろかかわってよそ者としての意見はいっぱい言えるのだけれども、実際にそこにかかわっている人は、結局、場面がいろいろ変わっても、大体同じような方々がいつも悩んでおられていて、本当は地域の力みたいなものはじわじわっと周辺に広がっていかなければならないのではないか。それがパワーになるのではないかと思うのですが、その辺がどこかでプツッととまっている……といったら変ですが、そういう印象を受けるのです。その辺をどうしたらいいかというのは、地元の方々には……。すごく難しい。 ●高橋: 難しいですよね。パブリックという意識も、自分のものは自分のもので、自分のものではないもの、要するにみんなが使っているもの、パブリックなものは、日本人は自分のものではないのですね。本来は自分のものでもあるはずなのだけれども、やっぱり人のものなのですよ。 僕は小別沢というところに住んでいるのですが、毎年、雪解けにトンネルをずっと掃除をするのです。1トン車のトラック2杯か3杯ぐらいのごみを拾うのです。布団とか家財道具とか、簡単にごみを捨てるのです。だから、あれは「自分の住んでいる場所ではない」というか。極端な例は、車がとめて、戸をあけて灰皿の灰をごそっと投げるばかもいます。今言ったように、パブリックという意識がなかなか難しい。 もう10年以上前、デンマークに住んでいる友人のデザイナーの家に泊まったときに、その子供が学校から帰ってきたときに、「学校で何あったの?」と聞いたら、「『まちにこういう色の建物があったら、どうなの?』ということを話し合った」というのです。もう小学校レベルで、かたく言えば「景観」、自分のまちでこんなものがあったらどう?みたいな、どこか公共性を育てるような……教育と言ってしまったら、それが全部絡まってくるので難しいと思うのですが、意識の問題として何をデザインするかということが一つあって、形とか仕組みとかは必要で重要なものですけれども、もっとベーシックなこともそろそろ考えないと難しいと思うのです。ここまで言い出してしまうと。あまりホープレスと言っても困るし、多少変わってほしいという気はします。 ●濱田: 公共というところを「公」というふうに少し読みかえて江差で議論したときに、道路は公共がやるけれども、建物は民間が担うのです。その民間に対してルールで縛るというときに、「何でおれのものをみんなからうるさく言われるのだ」という議論がありました。そのときに、これはもう専門家の間では当たり前のことなのですが、パブリックな部分とプライベートな部分の他に、その中間のセミパブリックの部分というところがあるのですよ、だから、個人の財産だけれども、少なくとも外から見えるところはパブリックの意味を持つのだから、そこに対してはルールをつくりましょうという議論をしたのです。 特に江差の場合は、上から見られるということです。ほかのまちと違う半公共空間がある。だから、屋根が大事ですよと。今、道内で街並み協定をやろうとすると、狭い敷地に雪を落としたくないから無落雪ということで、屋根型はだめとなってしまう例は多いのですが、江差は雪が少ないこともあるけれども、このように上の町から見えるのですよ、自分の屋根だけれども公共的な存在ですよ、という議論を続けて、何とかルールにすることができました。 この辺のことは三太郎さんがおっしゃったように、物の形だけではなくて、維持管理、ローンの草刈り、花壇の整理、ごみの処理などを含めての考え方が何か出てこなければだめな話かとは思います。 ●:角 今のご意見に、ほかの方から補足はありますか。 まだ話が途中なのですけれども、会場からいくつか質問が出ていまして、一つは平尾さんに、「古い建物に新しいものを追加する場合、質の違いや、周囲との景観も含めてのマッチングを考えるとき、どのようなことに注目していますか」という、非常に手法的、技術的な話、それから意識の問題もあるご質問です。 ●平尾: 本来的には昔つくったときと同じつくり方ができればいいわけですけれども、それは無理なので、基本的には設計者だけではなくて、職人さんも今までの建物の裏側とかをまずじっくりと見て回るということが一つありまして、表に見えてくる部分だけではなくて、裏側、下地とか材料の厚みとか重量感とか、それから塗装にしても、塗ってすぐはどうしても新しく見えるのですけれども、それをできるだけそう見えないようにするためにはどういう塗り方があるかとか、そういうことを現場でやっていく。だから見積もりができないというか……大変なのですけれども、一応現場で図面はつくります。図面をつくって、それでやっていくのですが、一緒につくっていくような感覚が必要だと思います。 それと、最初に物すごく非経済的なつくり方があります。でもそこで1回要領がわかると、またその流れでいけますので、最初の出だしのところで時間をかけるというところがかなりポイントになってくると思います。 恐らく、舞台美術とかそういうことをやっている方はまた別のノウハウを持っていると思うのですけれども、そっちに走ったらまずいというのがあります。 ●角: よく我々が文化財を修復するときに、かつては「古色仕上げ」といって「らしく」見えるようにやっていたのですが、今はかなり姿勢が変わって、新しいものは……文化財の場合、今の平尾さんの意見とは若干違って、逆に、補充した部分、新しく付加した部分はそれがわかるようにしようと。それが2年、3年、特に木造の場合だと1、2年たてば少しずつエージングされてくるというようなことでやっているのです。ただ、今の平尾さんの場合には、新しいものと古いものとがあまりにも対比的にならないように、融合するような形でやっていくという意識の方が強いというふうに理解したのですが。 ●平尾: 時間の助けがあるときは「10年後にはマッチングします」というような言い方はできるのですけれども、そうは言いにくい状況がちょっとありまして……。 角 もう一方、濱田さんに質問が来ていますが、「江差の例でさまざま制度、建物づくりのほかに、住民の方々の転業や新しく開店される方々のご紹介がありましたが、いわゆるソフト面、地域の側の取り組みを促す仕掛けなど工夫された点がありましたらご紹介ください」ということです。先ほどちょっとお話があったかもしれないのですが。 ●濱田: すべてを私がやったわけではありませんで、商店街に関しては、以前、あそこは実は三つの商店街組合だったのです。「津花」「姥神」「中歌」と三つあって、それぞれだったのですが、あの事業にかかわる前後から、ばらばらにやるのではなくて、「いにしえ街道」という一つの名前にして一緒になって頑張ろうということで、商店街組合が「いにしえ通商店街組合」となりました。若い人たちが頑張って、新聞やTVなどマスコミに結構登場しますが、そこの理事長の室谷さんという方達が中心になってさまざまなことをやりました。 それで、江差町全体の商工会とそこの関係は微妙な構造なのですが、江差のおもしろいところは、民間の方々の関心が高く、とにかく寄ってたかってまちのことを考える。ある意味では「うるさい」ぐらいのところなのですが、いいかげんにしないというところがあって、そういう中で、例えばさっきのおそば屋さんなんかは、スライドにも出てきた「一番蔵」という蔵を民間が持ち切れなくなって、町が買い取って、いにしえ通商店街組合に維持管理を任せて、家賃と売上げと委託費の上がりとんとんという格好でやっていく。そういう中でイベントをやったりするときに、イベントでそばを打っている中の1人だったのです。それで、なかなか筋がいいから本格的に勉強してやったらどうかということを、みんなで応援して、東京まで修業に行って、そば屋を始めた。 その隣の村田さんという蕎麦屋さんはもとは喫茶店をやっていたのですが、「客単価が上がらないから、食べ物をやりたい」「だけど、江差でスパゲティーとかピザはどうかな」ということで、「自分でもそばが好きだから、そば屋をやりたい」。「でも、お隣同士だぞ」となって、「いや、先にやっている人に悪いから、うどんにするかな」と言っていたのです。周りで「違う。更級から、田舎風から、それぞれのそば屋があっていいのだ」という話をして、だから逆に、「両方あることに意味があるように頑張るべきだ」ということで、当人同士が気まずくならないようにさせながら進めたとか、そういったことはやりましたけれども、それは別にコンサルタントだとかプランナーがやったわけではなくて、みんながやったという感じです。答えとしては、いいでしょうか。 ●角: いただいた質問にお答えがあって、そして本当はそれに対する補充の質問をとるべきところだと思うのですが、一応1回切りということで、申しわけないです。 今、たまたま平尾さん、それから濱田さんにいろいろと質問が来ましたけれども、今日の話は、それぞれ皆さん幅の広いところからやっているので、結構方向性が動いてはいるのですけれども、今日のテーマである個性あるまちづくりというのはどうしたらいいのだということも、それぞれの皆さんにお考えがあり、これからこう考えていくべきだということを最後にお話ししてもらおうと思うのですが。 その前に、今日のお話の中で、平尾さんは「設計の痕跡を消すことがすごく楽しい」という言い方をされたと思うのですが、そういう建築家がたくさんいれば、もしかすると世の中の歴史的な資産ももう少し新しい命が加えられながらつくられていくのかという印象があったわけです。 それから、濱田さんのお話の中でも、今の補足説明もありましたけれども、いくつかこれは我々もまた考えなければいけないことで、「らしさ」というのは何なのか、ということです。つまり、「らしさ」をあまりにも意識してしまうと嫌らしくなるのかもしれないし、そこでの「らしさ」というものをどう考えていくかということで、濱田さんの場合には公共施設の整備についても江差の場合には「らしさ」というのをかなり意識されていたということがありました。 それから、都市の中でのさまざまな建築なりそこにあるものというのは、古いものと新しいものと、先ほど平尾さんでしょうか、時間の流れではなくて「積み重ね」という話をされたのですが、古いものと新しいものが重なり合うことで一つの景観というものができ上がってくるということで、それが江差の場合には歴史を生かすまちづくり事業の中でも展開されていった。ただ、その中で「本物を残していく」ところというのは、高橋さんの見てこられたまちでもそれが共通することなのかと思いました。 それから、地域の中でさまざまな建物なり、そこの雰囲気なりが残っていくのは、そこに住んでいる人たちの生活もさることながら、そこのまちのホスピタリティーといいましょうか、そこを訪れる人に対する温かい気持ちとか、さっきの濱田さんのスライドを見てきましても、地域のこだわりみたいなものがある方々がたくさん集まったり、場合によっては役場の方々もまちのイベントに率先して参加されたりするというようなこともありました。そういう意味では一番興味深かったのは、街灯を消して、まちがひとときある時代の雰囲気を残しながら、でももしかするとこうこうと照っているまちでないのがふさわしいのではないかというところを考えさせてくれる、そういう手法、この辺も先ほどの質問にあったソフトの展開の中に入ってくるのかと思いました。 僕は7年ぐらい前から炭鉱遺産なりいろんな産業遺産にかかわっているのですが、高橋さんのお話ししたフィスカルスの例は大変興味深いのですが、みんながみんなアートなりクラフトというのはなかなか難しい。つまり、「みんながみんな」というのは、どの場所でも、ということです。ドイツのルールでもやはりアートというのをかなり全面に生かしているのだけれども、それが本当に北海道の中でどこまで展開できるのかというのはいろいろ考えるところがあるのです。それにしても「場が持っている力」という高橋さんの言葉は、別段、このフィスカルスだけの問題ではなくて、我々が住んでいる地域にとって非常に重要なキーワードだという気がしました。 もう一つ、高橋さんが言われたのは「仕組みづくり」。これはたまたまこのフィスカルスの場合には、しかも北海道の場合には会社がなくなったことでまちが斜陽化していくのとは全然別で、ある会社がさらなるステップを望んで別な場所に移って、残ったところをどう利用していくかということで、相当恵まれたものではあると思うのですが、ただこういった産業建築の使い方として、非常にいい事例を見せてくれているし、先ほどの製銅所なんかの使い方は、僕は建築の立場なのでフレーム、小屋組みなんかもすごくきれいだなと思ったりしたのですが……。自分たちが何かするときに、いい例……もちろん悪い例も見るべきだと思うのだけれども、そういう可能性みたいなものを見せてくださったという気がしました。 今日の話の中にたくさんいろいろなことがあって、実は、印象に残る歴史的建造物やまちづくりは何か、今日のパネラーの歴史的資産に対する考え方とかいろいろ聞きたいと思ったのですが、一つ一つ聞いていくと諮問委員会のようになってしまうのですが、最後の方のことで、よく言われる言葉で「個性あるまちづくり」、これはだれでも言える言葉なのだけれども、実は物すごく難しいテーマだろうと思うのです。副題とはいいながら、副題がメーンみたいな形にもなっていまして、これからの個性あるまちづくりに向けての方向性、課題、考えるべき点というのをお一人ずつ言っていただこうかと思いますけれども、よろしいでしょうか。なかなか難しいものだと思うのですが。 では、高橋さんから。 ●高橋: 仕事でやっている専門からいったら一番遠いところなのでちょっと難しい質問なのですが、ちょっと情緒的といいますか漠然としているのは、自分の暮らしをちゃんとしようというところがまず原点にないと、ではどうするかということは当然、次のステップだと思うのですが、僕は「まず自分」だと思うのです。自分の周り、自分の暮らしというか。例えば、スウェーデンで1920年代の初めに、暮らしを美しくしましょうという運動が始まったのです。例えば工芸家協会とか諸団体が、ある人は本を書いてはアジテーションをするとか、展示会を開くとかということで、とにかく自分の暮らしを美しくしましょうという運動がずっと地道にあって、それであの貧しかったスウェーデンが、すごく質素であるのだけれども、すごく豊かな暮らしをしているというのがあると思うのです。ですから、まず自分の暮らしをどうしようかというのがベースにあって始まっていく。行く方向は同じで、僕が現場でものをつくっている立場から言うと、僕なんかのものづくりとしてのアプローチというのは、まず自分たちの暮らしを美しく、それには道具をつくるとか、見せるとかというところから始まっていくと思っています。 ●角: ありがとうございます。 それでは、平尾さん。 ●平尾: 先ほどの濱田さんのお話の中で、江差で全員の合意によって実現できた部分というのはすごいなと思ったのですけれども、あくまで民主的なルールの中での全員の合意、全体主義的ではなくということなのでしょうけれども、100パーセントは難しいにしても、大多数の意見によって一つのルールをつくって、それをまずコミュニティーがつくって、そこを経て確認申請が出せますよ、みたいなことをやっている国ももうありますから、そういうのをやると、コミュニティーごとにいろんなやり方ができてくるのではないかという気がします。 ●角: 今は、先ほどの濱田さんの言われた全員の合意でなくても、大多数というところがなかなか難しいと思うのですが、結構理想論……。例えば、ごみをみんなできれいにごみ捨て場に投げましょうよといっても、絶対投げない人の方が多いわけです。これは大多数のルールでは「きれいにしましょう」と言っているけれども、少数のルールを守らない人によって台なしになるということがいっぱいありますよね。その辺は、平尾さんなんかはどういうふうに……ちょっと意地の悪い質問ですけれども。 ●平尾: それは難しいですけれども、建築に関して言えば建築基準法というルールがありますから、今でも地区計画とかありますから、何かルールはつくれる可能性というのはあるのではないかと思うのです。ごみ集めとかそこまで行くと、また別のルールが必要になりますけれども。 ●角: ありがとうございます。 それでは、濱田さん。 ●濱田: 先ほどの「全員合意」というのが結構強い言葉に聞こえたかもしれないのですが、それは火事が起きたときに責任をというだけで、形をこうしなさいとかなんとかの強要ではないのですよ。そこを引き受けてでも自分たちらしく暮らしたい、という言い方だと思うのです。ですから、そんなに窮屈な感じではなかった。それで、そのことと今の最後のお話がつながるのですが、多分、これからのいろんなことというのは、コミュニティーのあり方とすごく関連があるのではないかという感じがしています。 暮らしにゆとりがないと美しいことだとか快適なこととか考えられない、というのが正直なところだと思うのです。もちろん、そのゆとりというのは金銭的なゆとりだけではなくて、時間のゆとりであったり、心のゆとりであったり……。そのことから言うと三太郎さんと全く同じで、自分たちの暮らしを大事にしていこう、そのためにコミュニティーがどうあってほしい、というかかわり方かという気がします。 ゆとりということで言うと、今日は本当に申しわけなかったのですが、聞きづらいところで時間もなくアルテピアッツァの話をさせていただいたのですが、あそこは私にとっては心のゆとりを見直す場なのです。しばらく行かないと何か寂しくなったり、心がすさんでいるのではないかと思えてくるのです。で、アルテピアッツァに通いながら思うことは、そういう場に身を置いて自分を振り返る時間を持てる。それが、本来であれば特別の場所ではなくて、暮らしの中にあるべきではないかと。そういうことに関して、先程三太郎さんのおっしゃったことで言うと、美唄とか滝川だけではなくて、自分が住んでいる札幌がどうなのだろうかというところも突きつけられていると感じました。そこのところをそれぞれが考えていく中で、共通点のところで手を取り合えれば十分に意義があるのではないかと思っています。 ●角: 「結局は、当たり前のこと」という言い方は大変失礼なのですが、高橋さん、平尾さん、濱田さんもずっと言われているように、自分の暮らし、もしくは自分自身の身の回り、もしくは自分が立っている立ち位置、そこがちゃんとすることから始まるという、それが一つの大きなキーワードとして出てきたと思います。 私が最初にお見せした中で例えば函館の遺愛なんかでも、あそこにいる子供たちが、自分たちの空間、歴史的な建物が持っている雰囲気、それからそこで育っている自分たちが毎日感謝しながらお掃除をしているという話がよくあるのですけれども、そういう気持ちが結果的には地域をよくしていったり、自分たちの環境をよくしていったりする。これは、僕の友人なんかも設計をやっている人たちがたくさんいるわけですけれども、それぞれがなかなかそのことに気がつかずに、何か人のためにやっているというような、もしくはクライアントのために……もちろん、頼まれた仕事ですから。でもそこの中で、平尾さんみたいに絶えずものをつくるというところに喜びなり、そういうものを意識しながらやっていければ、もしかすると違う解決の仕方もいっぱいあるのではないかという気がしました。 今日のテーマは非常に難しいのと、私自身が持っているスタンスとここにいらっしゃる3人の微妙なところで温度差があったかもしれないのですが、明日「公共建築の日」ということで、公共とは何なのかというのを考えるすごくいい機会になりましたし、公共という枠はどこまでやるかというのは個人の方で違っていると思うのですが、そこでみんなが意識することで、地域が、コミュニティーが、さらにはまちが、さらには大きくは日本がよくなっていくのではないかという、別段そこに落とし込もうというお話ではなかったのですが、今日のお話の中ではそういうふうに感じました。 時間が限られていて、それぞれパネラーの方々も用意してきたスライド等も実はまだまだありまして、私もサハリンの拓銀なんかが活用されている例も皆さんにお見せしたいと思ったのですが、時間が時間でございますので、一応ここで閉じさせていただきたいと思います。 どうもありがとうございました。(拍手) ●司会: どうもありがとうございました。 公共建築、そしてまちづくりという言葉から、さまざま視点、角度から有意義なお話を伺うことができました。世界がどんどん広がっていったような気がいたします。本当に貴重な時間を提供していただきました。その分お疲れになったと思います。改めて、ありがとうございました。皆様、盛大な拍手をお願いいたします。(拍手) では、コーディネーター、パネリストの方々は、お席の方にどうぞ。
■フォトコンテスト結果発表及び講評 ●司会: 引き続きまして、これよりコンテストの審査結果発表へと移らせていただきます。 「公共建築の日」を記念しまして、「人・くらし・たてもの」をテーマに行いましたフォトコンテスト、今年で4年目を迎えますが、応募総数は216作品でした。実は先日、10月14、15日にモエレ沼公園「ガラスのピラミッド」で開催しました「『公共建築の日』フェスティバル2006 in モエレ」にて応募作品を展示いたしまして、来場した方々に1人3作品を選んでいただきました。一般投票の結果、上位41作品が1次審査通過作品となっています。そして、本日のコーディネーター、パネリストの方々と北海道開発局営繕部長の5名の皆さんに、41作品の中からさらに10作品を選んでいただきまして、一般投票結果に加えました。その結果、ここに入選作品が決定いたしました。 では、審査委員長の北海道開発局・新宅営繕部長から審査発表を行いたいと思います。お願いいたします。 ●新宅: どうもお疲れさまでした。 それでは、私の方からフォトコンテストについて審査発表といいますか、そういう大げさなものではないのですが、多くの作品を応募いただきましたので、コメントを述べさせていただきたいと思います。 ただいま申し上げましたように、今回は216作品という多数の作品が寄せられました。まず、応募された皆様方に心より感謝申し上げます。これらの中から1次審査を通過した作品につきまして、本日のコーディネーター、パネリストの先生方と審査させていただいた結果を、ただいまより発表いたします。 入選作品はグランプリ1作品、準グランプリが3作品、佳作10作品でございます。 それでは、前の画面の方に映し出しながら発表いたしますが、まず佳作から発表いたします。 1点目は、札幌市の栗林幸徳さんの作品でございます。題名は「野球かサッカーか」です。 左右対称の形態の中央にいる人物の配置が上手なアクセントとなっている作品で、建築物のおもしろさがストレートに表現されています。見る人によっては、SF映画のシーンを思わせます。 2点目です。函館市の平瀬清人さんの作品、題名は「星」でございます。 空と人工構造物の対比の構図、隠された形の見立てがおもしろく、緑と空の青さが建物のかたさを和らげています。 それでは次、3点目をお願いします。 札幌市の横田和裕さんの作品、題名は「天空のステンドグラス」です。 ガラスの持つ透過性と不思議な揺らぎを映し出しています。見上げている人を感じさせ、空気感がとても美しい作品でございます。 次、4点目をお願いいたします。 札幌市の新井幸枝さんの作品でございます。題名は「今日からカメラマン」。 モエレ沼公園に集う市民の楽しげな声が伝わる作品で、写真を撮る少女の楽しげな表情も想像されます。人々が楽しむ姿が力を持って迫ってきます。 次、5点目です。 札幌市の小室直子さんの作品、「甲子園?」です。 緑と人物が印象的で、丸い壁面と緑のツタがちょっとかわいい甲子園を思わせます。建物の存在感が興味深い作品です。 次に6点目ですが、札幌市の小室堅三さんの作品、「赤れんが」です。 都会の中にあるうっそうとした緑と旧北海道庁の建物のコントラスト、池の水面に映る赤レンガ、原始的な緑の静寂の奥に明治と昭和の時間が重なり、不思議さが漂います。 次、7点目ですが、岩見沢市の和泉誠一さんの作品、「希望」です。 シルエットながら子を思う父の優しい目元が想像され、元気に育ってほしいと願う親の希望。イサム・ノグチの計画から17年、ごみ処理場から公園として育っていったモエレ沼の成長とも重なります。まさにイサム・ノグチの思いが具現化した作品でしょう。 次、8点目でございます。 札幌市の泉幸一さんの作品、「URA・HIDAMARI」です。 ガラスのピラミッドを照らす夕日の美しさに引かれる作品です。建築の特徴と写真表現がマッチしております。とても巧みな写真で、美しいと思います。 次、9点目ですが、札幌市の笹岡歩さんの作品、「炭鉱都市の現在」です。 産業建築の力強さと真っ赤な紅葉とのコントラストが美しく、時間を超えて流れていく何かを感じさせます。産業建築特有の迫力や、文字どおりの炭鉱都市の現在が表現し切れていない点が惜しまれる作品です。 佳作の最後の作品になりますが、札幌市の畠山雄豪さんの作品、「異空間」です。 大通公園の西端にあります札幌市資料館の夜景で、昼間との違いが際立っていまして、驚きを誘発させます。歴史的建造物や公共建築の夜の都市景観との関係性などの主張があれば、なおよかったと思います。 以上が、佳作10作品でした。 続きまして、準グランプリ3作品を発表いたします。 まず1点目ですが、札幌市の広瀬素洋さんの作品、「キリコのいる直線の風景」です。 遠景のガラスのピラミッド、道路の切り込み方、人物の配置など、題名にあるように全体に画家・キリコの白日夢のような構成の写真と言えます。深い静寂は感じさせませんが、丘の上へ向かおうという構図が印象的で、伸びやかな空間を感じさせます。ただ、キリコの絵のような書き割り的な印象が薄れているのが残念です。これは人工構築物でありながら、自然に近い姿に変わりつつあるモエレ沼公園の包括力ゆえかもしれません。 次、2点目ですが、札幌市の小倉裕子さんの作品、「桜の中で」です。 イギリスの風景を思わせるような知事公館とグリーンを見詰める子供の愛らしさとが表現されており、撮影者が意図したかどうかはわかりませんが、建築と良好な景観が子供の成長に大きくかかわることが込められていると感じました。市民に親しまれる建築と、画面の外の家族を感じさせ、歴史的なたたずまいと幼い子供さんの姿が、時間の連続性を示唆しているように思います。 準グランプリの最後の作品。苫小牧市の平瀬清さんの作品、「二人の空間」です。 二つのいすは、そこに人物を実体化しているかのようです。木造小学校の教室という普通の空間が温かみのある豊かな空間に変容している空気を、見事に醸し出しています。懐かしさとストーリー性を感じます。人の姿も外の風景もないことにより想像力をかき立てる作品です。 以上が、準グランプリ3作品でした。 それでは最後に、グランプリ作品を発表いたします。 函館市の平瀬清人さんの作品、「雲の夕暮れ」のJR原生花園駅がグランプリに選ばれました。 雄大な原生花園を背景に、人工物である電車と小さな木造の駅舎とが夕日の微妙な光りの中で融合した、美しい作品です。ダイナミックな空の構図が一層効果を上げています。北海道らしさ、自然と建築の融合、それに絵画的美しさを感じる作品で、この駅を乗り降りした人たちにとって、この小さな駅舎は忘れがたいものと思います。亜寒帯の原初的風景の中での文明のほのかさを感じさせています。 おめでとうございました。 以上で発表を終わりますが、このフォトコンテストは今年で4年目を迎え、年々応募数もふえ、力作がそろい、コンテストとしても充実してきていると感じております。このコンテストを通じて、公共建築に対する興味や関心、親しみを持っていただき、さらに愛着を深めていただくことを願いまして、審査結果の発表を終わります。大変ありがとうございました。(拍手) ●司会: どうもありがとうございました。 ■ポスターコンテスト結果発表及び講評 ●司会: そしてもう一つ、「11月11日・公共建築の日」をテーマに、高校生以上の学生を対象としてポスターコンテストを行いました。2年目の今年は昨年の応募を大きく上回り、全部で八十七つの作品が寄せられております。 では、審査委員長の海洋飛行代表でグラフィックデザイナー、日本グラフィックデザイナー協会北海道地域代表でいらっしゃいます後藤精二様より、審査結果の発表をお願いいたします。 ●後藤: ご紹介いただきました後藤でございます。ポスターコンテストのご報告をいたします。 平成18年度の公共建築月間ポスターコンテストの審査は、去る10月19日に行われております。審査員は新宅営繕部長、それから札幌市立大学の石崎教授、そして私、後藤の3人で行いました。 今年は、開発局のスタッフの方々の大変なご努力で、去年に比べると4倍ぐらいの応募がございました。全部で87点でございました。審査の公平性、それから透明性を保つ上で大変に慎重を期した審査をいたしまして、グランプリ1点、それから準グランプリ3点、入選6点、向こうの方に展示されておりますが、改めて画面でもご紹介いたします。 それでは、準グランプリに選ばれた3点のご紹介をいたします。 まず1作品目は、札幌デザイナー学院専門学校の秋元浩さんの作品でございます。 これは、応募するときに作品説明をいろいろ書いて裏側に添付するのが決まりとなっておりまして、その中に「人のつながりと公共建築」という意図が書いてございました。そのことが道庁を囲む輪のところ、人が手をつないで公共建築の道庁を何か取り巻いているような、一つのデザインになっております。 それから、ちょっと見にくいと思いますけれども、あの黄色いバックがございますけれども、そのバックのところに実は国会議事堂が白い線で入っております。大変にあしらいがきれいなレイアウトということで、この作品が準グランプリの一つに選ばれております。 2番目ですが、札幌デジタル専門学校の加茂摩理恵さんの作品です。これはテーマがございまして、「さっぽろ4大建築」というふうなテーマになっておりました。 応募された87点の作品の中には、大変に写真の作品が多くて、最近、デザインの中でもデジタルの技術で写真をうまく加工したり、切り抜いたりというふうなことが割と簡単にできるようになりまして、そういう作品が非常に多い中で、こういうイラストレーションといいますか、単純化したデザインのものをうまく組み合わせて非常に効果的な配置をしているというふうなことが読み取れましたので、これも準グランプリの1点とさせていただきました。 それから、準グランプリの3点目ですが、北海道造形デザイン専門学校の小林知代さんの作品です。テーマは「RHYTHM」というふうになっております。 いわゆるポスターのデザインの中では、公共建築の建物を大きくあしらって、建物の力感みたいなものをかなり感じさせるようなポスターが多い中で、それぞれの公共建築を小さく扱って、うまくコラージュするというか、張り合わせたような形にして、文字も非常に小さく、下の方に抑えられております。非常に繊細な感じがするポスターということで、これもやっぱり87点の中ではかなり異色のポスターといいますか、逆に言うと力感がなさそうに見えるのですが、このフォルムのおもしろさはすごく評価に値するものだということで、これも準グランプリの1点となりました。 それから、次はグランプリの発表でございます。 これはどなたにも平易で非常にわかりやすい。つまり、非常に大胆なデザインと、それからポスターとしての機能、これは何のための告知のポスターであるのか、こういうふうな意図があって、公共建築の日というのはこういうことなのだということを、ちゃんと文字で説明しております。ある意味では、公告の基本となる要素といいますか、それをすべて満足させているということで、これは審査員3人の中で検討するまでもなく、満場一致でこの作品がグランプリに選ばれております。 以上、グランプリと準グランプリのご紹介でございました。 それで、入選作品6点についても、ちょっと講評するのは時間がないので、6点をちょっと順番に映写していただきますので、ごらんください。 (入選作品の映写) 今の6枚が入選作品でございました。いずれ劣らぬといいますか、実は高校生の作品も含まれておりまして、市内の専門学校それから高校生の作品が多かったわけですが、実際に入選された、ないしはグランプリ、準グランプリを取られた作品以外にも大変に力作が多くて、審査は大変に難航いたしましたけれども、いわゆる「公共建築の日」ということの興味が、この応募がふえているということは、かなり専門学校、若い人たちの中にもこの公共建築の日というのが比較的興味深く見られているのだなという実感を、僕自身感じさせていただきました。残念ながら選外になった作品も、先ほど申しましたように大変な力作が多くて、来年もまた、もっともっと力作が多くなるであろうと期待しておりますし、また僕にとっても刺激的な1日であったことは確かでございます。 これで、ポスターコンテストの審査報告を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手) ●司会: どうもありがとうございました。 なお、入賞者の皆様方には後日、賞品をお送りいたします。 以上、フォトコンテスト並びにポスターコンテストの審査結果の発表でした。 ■閉会宣言 ●司会: さて、皆様もお疲れさまでした。本日は長時間にわたりまして、まことにありがとうございました。本日の結びに、貴重なお時間を提供していただきましたコーディネーターそしてパネリストの方々に、いま一度拍手をお贈りしたいと思います。本当にありがとうございました。(拍手) 以上をもちまして、「平成18年度公共建築の日記念フォーラム」を終了いたします。 本日はまことにありがとうございました。 |
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