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WEB広報誌 かいはつグラフ2016.6

  • 国立民族共生公園の基本計画について
 北海道開発局では、平成26年6月に閣議決定された、白老町に設置される「民族共生象徴空間」の一部となる国立民族共生公園について、基本計画を策定しました。
 象徴空間は、2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピック競技大会に合わせて一般公開することとされており、民族共生公園についても平成32年の開園に向けて整備を進めます。
 ※更に詳しくご覧になりたい方は、こちらをクリック願います。
 今回は、国立民族共生公園の基本理念、基本方針、空間構成などの基本的事項について紹介します。
基本理念
基本理念
アイヌ古式舞踊
 民族共生公園では、自然と共生してきたアイヌ文化を尊重し、国内外から訪れる多様な来園者の理解を促進するとともに、豊かな自然を活用した憩いの場の形成等を通じ、将来へ向けてアイヌ文化の継承及び新たなアイヌ文化の創造発展につなげるための公園的な土地利用の実現を図る。

                                   アイヌ古式舞踊
                             (出典:文化遺産オンライン(文化庁))
基本方針
基本方針
 (1)自然と共生してきたアイヌ文化への理解を深める
 (2)異なる民族が互いに尊重し共生する社会のシンボルとなる空間を形成する
 (3)豊かな自然を活用した憩いの場を提供する
計画区域
計画区域
 計画区域は、ポロトと公園通の間に位置する面積約10haの区域。(博物館建設予定地及びポロト温泉予定地の範囲を除く。)
  • ポロト対岸からのコタンの眺望
  • ウツナイからの眺望
     ポロト対岸からのコタンの眺望             ウツナイからの眺望   
空間構成計画
空間構成計画
基本方針を具体化するため、3つの空間を計画区域に配置

 a)アイヌの自然観に触れる空間    ・・・ 民族共生公園一帯の自然の豊かさを感じられる空間
 
 b)アイヌの伝統的な生活を体感する空間・・・様々な伝承活動等を通じて、伝統的な生活を体感する空間

 c)アイヌ文化の理解と交流を促す空間 ・・・ 多様な来園者を迎え入れ、理解と交流を促す空間

【空間配置のイメージ図】
  • 【空間配置のイメージ図】
施設配置計画
施設配置計画
伝統的コタンや広場、ポロト周辺の豊かな自然環境等を活かしながら、舞踏、工芸等を始めとするアイヌ文化の多様な要素を一般の人々が体験・交流する体験型のフィールドミュージアムとして、また、多様な来園者が快適に過ごせる魅力ある空間を形成するために必要となる施設を、空間構成計画に基づいて配置。
[主な施設概要]
■伝統的コタン
  チセ群等の再現によりアイヌの伝統的生活空間を体感できる施設
■体験交流施設
  概ね500~600名程度収容できる体験交流ホール、アイヌ語、伝統的生業等を体験できる体験学習館
伝統的コタンのイメージ
■工房
  来園者が工芸の製作を体験できる施設
■芝生広場
  美しい景観、豊かな自然を活用した憩いの場
■エントランス
  来園者を安全・円滑に誘導する象徴空間の入り口
                                
  • 施設
  • 北海道の歴史・文化を紹介します
 北海道開発局では、北海道における独自性のある歴史・文化を観光資源として活用し、インバウンド観光の需要拡大を図るため、国内外に紹介する観光パンフレット「北海道の歴史文化を巡る旅」を作成しました。
 このパンフレットは、北海道の歴史・文化を縄文文化から北海道開拓まで1冊に凝縮し、「自然を敬い祈り続けた北の古代人」、「先住民族アイヌの文化」、「中・近世道南の和人文化」、「フレンドシップによる北海道開拓」、「北の産業遺産」という5つのテーマごとに、その魅力や関連施設を紹介しています。
  • パンフレットの表紙(日本語版) パンフレットの表紙(日本語版)
  • パンフレットの表紙(英語版) パンフレットの表紙(英語版)
 パンフレットについては、北海道の歴史・文化の魅力を海外を含め、道内外にお伝えし、北海道の観光振興に活用いただくため、日本語、英語の2ヶ国語版を作成しております。

 ここでは、パンフレットに掲載されている5つのテーマそれぞれのストーリーについて紹介します。
 
自然を敬い祈り続けた北の古代人
自然を敬い祈り続けた北の古代人
日本の心のルーツ
~受け継がれてきた縄文の精神

 北海道の縄文文化は、今から15,000~2,000年前まで、1万年余りの長きにわたって、大規模な争いがなく、自然と人間が共生してきた、世界史上稀有な先史時代の文化です。この時代の人々(縄文人)は、農耕ではなく、漁労・狩猟・採集を基盤とした定住生活をおくっていました。この時代の「墓」「貝塚」などから、人や物を埋葬した跡、さまざまな祭祀や儀礼の跡と思われるものが見つかっています。狩猟・採集など、命の糧を自然に委ねざるを得なかった縄文人は、自然やあらゆるものに〈魂〉が宿ると信じて「自然との折り合い」をつけていったと考えられます。このような、縄文人の精神は、アイヌの人々の信仰や、また、日本人にも受け継がれています。
【縄文土器】
【縄文土器】  (函館市臼尻B遺跡出土)
縄文とは、土器の表面に縄を転がしてつけた縄目文様のこと。
(写真提供:函館市教育委員会)
先住民族アイヌの文化
先住民族アイヌの文化
縄文からつながるアイヌの思想と文化
~自然と共生する文化がここに


 自然と共生し、縄文の精神性を受け継ぐアイヌ文化は、和人(本州に暮らしている人々)のものとは大きく異なるものでした。中世アイヌの人々は、大陸や本州と自由に交易を行い、中国からの絹製の服や本州の漆器などを入手していました。その後、蝦夷地(現在の北海道)に移住した和人が交易権を独占するようになり、和人の政治的、経済的支配が強まっていきました。さらに1869年、明治政府は蝦夷地を北海道と改称、アイヌ民族の和人への同化政策をとっていきました。そうした中でも、アイヌの人々は、先住民族として独自の信仰や生活文化を今日まで守り、継承してきました。
【アットゥシ】
【アットゥシ】
アイヌの人たちがつくり上げた伝統的な衣服である樹皮衣。
(写真提供:財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構)
中・近世道南の和人文化
中・近世道南の和人文化
日本を支えた“蝦夷”地
~海を行き交わった人、もの、文化


 14世紀頃から道南地域へ進出してきた和人は、現在の上ノ国町・北斗市・松前町・函館市などに館(たて)を築き、勢力を扶植していきます。近世の江戸時代になると、鎖国が行われ、蝦夷地(現在の北海道)を支配した松前藩は交易権を独占していきます。18世紀には、ニシン、サケ、コンブなどの海産物の生産が拡大、その積み出し港となった江差、松前、箱館は大きく繁栄しました。なかでも日本海航路の起終点となった江差は「江差の五月は江戸にもない」とうたわれるほどの賑わいでした。北前船で運ばれたニシン粕は、綿花などの肥料として使われ、当時の日本の産業発展に貢献しました。身欠きニシンやコンブは、京都に伝わって和食文化に欠かせないものとなっています。
【復元された北前船】
【復元された北前船】
海運商・高田屋嘉兵衛の北前船「辰悦丸」を模して建造された。写真は1986年に江差に寄港したときのもの。
(写真提供:函館市教育委員会)
フレンドシップによる北海道開拓 
フレンドシップによる北海道開拓 
お雇い外国人技術者が北海道に残したもの
~日本人とともに開拓の夢を追い求めたアメリカ人パイオニアたち


 明治維新後、日本政府は「蝦夷地」を「北海道」と改名、開拓使を設置しました。開拓次官黒田清隆(後に長官)は、その範をアメリカ合衆国に求め、農務局長ケプロンをはじめとする農業、土木、鉱業等のアメリカ人技術者を招聘し、その指導によって北海道の開発が始まりました。彼らは、アメリカ流のフロンティア精神のもと、北海道開発に夢と情熱を捧げ、短期間ではありましたが、多くの成果を残して日本を去っていきました。このような日本とアメリカとの関係は、当時のアジアにおける列強諸国の支配的構造とは異なり、学者や技術者を中心とした日米両国民の対等なフレンドシップによるものだったことが一つの特徴でもありました。その結果、北海道に移植された西洋式の先進農業技術や開拓思想が、その後の北海道の産業や生活文化に色濃く反映されることになりました。
【旧開拓使札幌本庁舎】
【旧開拓使札幌本庁舎】
開拓の拠点は現在の北海道庁赤れんが庁舎の北側に建築された。
北の産業遺産
北の産業遺産
北海道130年の奇跡
~すべては石炭から始まった


 日本が産業化を進める上で必要不可欠だったのが北海道の石炭です。開拓使は、1879年に官営幌内炭鉱を開鉱、その3年後石炭を小樽へ運ぶために幌内鉄道が開通しました。その後も紡績所や製紙所など次々と官営工場が造られ、北海道開拓はまさに国家の一大プロジェクトでした。開鉱から11年、各地で新鉱開発と鉄道の延伸が進みます。その結果、室蘭は小樽と並ぶ石炭の積み出し港となり、同時に石炭をもとに製鉄も始まりました。また、炭鉱開発で内陸部の開拓が進み道路や河川などが整備されました。北海道は、アイヌと少数の和人が住む地から、わずか130年で550万人が住む地域へと変貌をとげました。そこには、炭鉱を軸にした産業発展による近代化の歴史が刻まれています。
【北炭幌内炭鉱立坑】
【北炭幌内炭鉱立坑】
立坑とはケージで地下に人や資材を運ぶための坑道のこと。
(写真提供:NPO法人炭鉱の記憶推進事業団)


 北海道を旅する中で、自然や景観、食といった様々な魅力に触れることは観光の大きな楽しみとなっていますが、時間をかけてそれらを創りあげてきた北海道の独自性ある歴史・文化を地域の新たな魅力の一つとして紹介するため、このパンフレットを作成しました。
 海外を含む道外の方々だけではなく、道内の方々も是非ご覧いただき、パンフレットで紹介させていただいた施設を訪れてみてはいかがでしょうか。

お問合せ先

開発監理部 広報室 

  • 電話番号:011-709-2311
  • ファクシミリ:011-709-8995

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