留萌港 開港80年
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留萌港 -開港80年の歩み-
留萌の夜明け
アイヌ語で「潮の静かに入るところ」もしくは「海水が静かでいつもあるもの」という意味を持つ「ルルモッペ」と呼ばれていた留萌川河口付近には、アイヌ民族による集落が形成されていました。そのような中、北海道の各地で場所請負制が広がりはじめると、流れが穏やかで水量が多いことから、ルルモッペにも交易船が行き交うようになり、運上屋が開かれました。
ルルモッペ場所では、サケやマス、昆布などの取引が行われ、次第に好漁場として大型の船も集まるようになったことから、河口付近の整備が進められました。その頃になるとニシン漁が盛んになり、多数の船で賑わいを見せました。
ルルモッペ場所では、サケやマス、昆布などの取引が行われ、次第に好漁場として大型の船も集まるようになったことから、河口付近の整備が進められました。その頃になるとニシン漁が盛んになり、多数の船で賑わいを見せました。
- 出漁風景
- 大正時代の鰊漁
- 地図(明治35年)
【写真、資料は留萌市から提供】
港湾調査から修築まで
明治を迎えると、留萌川河口には、漁獲物や木材などを本州へ運送する和船や西洋型の帆船の出入りが増加し、大型の船でも安全に停泊できる必要性が高まっていきました。そのような中、留萌川河口で行われたイギリスの港湾技術者チャールズ・スコット・メークの調査・築港計画を機に築港への気運が高まり、地域をあげての築港運動が活発化します。
その努力が実を結び、明治42年に、ついに国による築港が認められました。
留萌港の修築は明治43年の第1期拓殖計画の中で実施されることになりました。修築計画期間は、大正10年までとし、これに伴い、まず、築港事務所が建てられました。
そして南、北防波堤や留萌川の切り替えに伴う導流堤の築設、港内の浚渫をはじめとする、留萌港建設に向けた工事がスタートしました。
その努力が実を結び、明治42年に、ついに国による築港が認められました。
留萌港の修築は明治43年の第1期拓殖計画の中で実施されることになりました。修築計画期間は、大正10年までとし、これに伴い、まず、築港事務所が建てられました。
そして南、北防波堤や留萌川の切り替えに伴う導流堤の築設、港内の浚渫をはじめとする、留萌港建設に向けた工事がスタートしました。
- 築港前の留萌川河口
- C・Sメークの考えた留萌港設計図
【写真は「新留萌港史」から引用】
築港完成
留萌港築港工事は、途中、計画の変更や事業期間の延長などもあり、昭和元年にひとまず第1期拓殖計画が終了します。これに続いて第2期拓殖計画の中で工事が引き継がれ、南、北防波堤が完成、岸壁や護岸、副港の築設、浚渫などの整備も進み、昭和8年、近代化された留萌港が遂に竣工しました。
そして周辺地域での炭田の開発に伴い、石炭ローダーなどを備えた留萌港は、石炭積み出し港として地域の発展を支えていきました。
石炭を中心に飛躍的な取扱量の増加を見せた留萌港は、昭和11年には国際貿易港に指定され、開港いたしました。
また、木材の輸出も順調で、戦時体制へ移るまでは、港勢を大きく伸ばしていきました。一方、港では完成した南防波堤を中心に激浪による自然災害をくり返し受けていましたが、戦時体制期のため、ほとんど手をつけることができませんでした。
そして周辺地域での炭田の開発に伴い、石炭ローダーなどを備えた留萌港は、石炭積み出し港として地域の発展を支えていきました。
石炭を中心に飛躍的な取扱量の増加を見せた留萌港は、昭和11年には国際貿易港に指定され、開港いたしました。
また、木材の輸出も順調で、戦時体制へ移るまでは、港勢を大きく伸ばしていきました。一方、港では完成した南防波堤を中心に激浪による自然災害をくり返し受けていましたが、戦時体制期のため、ほとんど手をつけることができませんでした。
- 昭和初期の留萌港
- 昭和初期の南防波堤
【写真は「新留萌港史」から引用】
重要港湾として整備が拡充
戦後を迎え、留萌港では本格的な港湾整備に向け、当初、直営による施工体制を昭和30年代まで続けましたが、工事の大型化に伴い、次第に請負に移行していきました。
高度経済成長の中で、大型消波ブロックによる南防波堤の再構築、海難事故をきっかけに急がれた西防波堤の整備など、港の安全を重視した港湾機能の拡充に取り組まれました。
高度経済成長の中で、大型消波ブロックによる南防波堤の再構築、海難事故をきっかけに急がれた西防波堤の整備など、港の安全を重視した港湾機能の拡充に取り組まれました。
- 改良工事中の南岸壁
- 西防波堤ケーソン据え付け
- 南防波堤嵩上げ工事(昭和41年)
- 怒濤による南防波堤の決壊
【写真は「新留萌港史」から引用】
新しい時代の港湾整備
石炭から石油エネルギーへの転換が進む中、留萌港では、古丹浜地区の水深10m岸壁、さらには、三泊地区の水深12m岸壁と、船舶の大型化や物流需要の増加に対応した大型岸壁が完成、流通拠点港として地域の活気を担う機能強化が図られてきました。
さらに、塩見緑地も整備されるなど、海洋性レクリエーションや親水機能の充実といった、人が集う親しまれる港づくりにも取り組まれてきました。
さらに、塩見緑地も整備されるなど、海洋性レクリエーションや親水機能の充実といった、人が集う親しまれる港づくりにも取り組まれてきました。
-
古丹浜地区 水深10メートル岸壁
「新留萌港史」から引用
-
日本丸
「新留萌港史」から引用
- 現在の留萌港
地域のくらしを支える留萌港
開港から80年を迎えた留萌港は、これまでに整備された既存施設を有効に活用するため、老朽化した岸壁の改良や防波堤の嵩上げなど、安全・安心なみなとづくりを進めていきます。
留萌港背後圏の暮らしを支える海上物流拠点として、また、旭川・富良野といった観光地に最も近い港として、重要な役割を継続して担っていきます。
留萌港背後圏の暮らしを支える海上物流拠点として、また、旭川・富良野といった観光地に最も近い港として、重要な役割を継続して担っていきます。
- 飛鳥Ⅱ・日本丸 同時寄港
- 古丹浜ふ頭木材輸出
- 船場公園
- 三泊ふ頭石炭輸入