開拓初期-交通6【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川流域誌
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 4交通
道庁設置で道路網が形成された
北海道庁が開庁したことで、道路整備は飛躍的に進み、幹線道路網の輪郭が現われつつあった。内陸道路では、札幌~旭川~網走~釧路、標茶~厚岸~釧路をむすぶ、「北海道横断路線」が完成。明治19年の上川道路「市来知(三笠市)~忠別太(旭川市)間」から、明治24年には「北見道路(中央道路)」がほぼ竣功し、その間に「札幌~岩見沢~幾春別間」にも新道がつくられた。大原野を結ぶ内陸道路は、植民地をつなぐ役割も果たした。内陸道路の沿線には屯田兵が配置され、そこから植民地への道路もつぎつぎにつくられ、要所には駅逓(えきてい)所や渡船場が置かれた。
*参考資料/新北海道史第四巻通説三より
*参考資料/新北海道史第四巻通説三より
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明治39年頃のおもな道路網
*北海道道路史調査会編「北海道道路史」より