開拓初期-交通7【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川流域誌
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 4交通
湿地につくられた排水道路
鉄道と道路の建設は、明治20年代には石狩川に沿って内陸へと向かっていった。しかし、道路は本州に比べると長さも質も劣り、鉄道の補助手段ととらえられることもあった。明治34年から進められた「北海道十年計画」では、国道や道々の整備とともに、「排水道路」が掘削された。北海道の原野は、農耕適地に湿地が広く分布し、道路をつくるにも、まず排水して水はけを良くする必要があった。排水道路は、排水路を掘って土地を乾かして耕地に変えるためのもので、北海道ではとても有効な方法になった。排水道路は、計画された道路総延長の中で、多くを占めるほどだった。
*参考資料/新北海道史第四巻通説三より
*参考資料/新北海道史第四巻通説三より
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明治30年代の空知太駅逓
(北海道大学附属図書館蔵)
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明治天皇の昼食所になった旧島松駅逓所。明治末頃か
(北海道大学附属図書館蔵)