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開拓初期-歴史のひとこま1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 歴史のひとこま

  • タイトル

石狩川流域にゆかりある歴史の主役たち

坂本龍馬
坂本龍馬

(国立国会図書館蔵「近代日本人の肖像」)

北海道は、わが国が激動期をむかえるたびに、
注目されてきたといっても過言ではない。
そんな風雲吹き荒れる中、
北の地に足を踏み入れた偉人たちがいた—

波乱万丈を生きた榎本武揚
榎本武揚
榎本武揚

(国立国会図書館蔵「近代日本人の肖像」)

戊辰戦争の最後の戦い「函館戦争」で旧幕府軍を率いた榎本武揚は、降伏して囚われの身となったが、後の開拓使長官・黒田清隆が助命を訴え、放免されて開拓使に就くことに。くしくも黒田は、降伏に追い込んだ函館総攻撃を指揮した薩摩藩士だった。
榎本は空知炭田調査を命じられ、幌内川上流を調べ、有望な石炭だと判断する。「幌内炭山」には『幌内神社』が建てられ、榎本武揚の書とされる社号額が飾られている。また、石狩川の対雁に近代的な牧場を開くなど、石狩川流域に縁が深く、牧場跡は『榎本公園』として利用されている。
開拓使では、馬車や馬ソリなどロシアの寒地文化を導入するなど、先見性と外交手腕をいかんなく発揮した。
黒田清隆の眼はたしかだった。

* 参考資料/江別市 「江別ブランド辞典」、北海道立図書館「榎本武揚 幕末と明治を駆け抜けた男」などより
  • 榎本公園のブロンズ像 榎本公園のブロンズ像

    (江別市工栄町)

龍馬の夢を継ぐ
明治22年頃の坂本直寛
明治22年頃の坂本直寛

(土居晴夫蔵)

薩長同盟や大政奉還など、明治維新の立役者のひとり・坂本龍馬は、北海道の開拓に大いなる夢を持っていた。暗殺によって、移住計画はついえたが、甥の『坂本直寛』が意思を継ぐ。
直寛は、自由な新天地の開拓を志し、明治29年に北見原野に入植、翌年、浦臼町の聖園農場に移った。直後に明治31年洪水が発生した。直寛は上京して、板垣退助に石狩川の治水と被災者救済を訴えるなど尽力した。浦臼町には坂本家の墓があり、ゆかりの品々は『浦臼町郷土史料館』に展示されている(浦臼町字ウラウスナイ)。
坂本直寛は、北海道の夜明けを駆けぬけた。

*参考資料/北海道立文書館、
「龍馬の甥 坂本直寛の生涯(土居晴夫著)」より

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