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明治43年頃-産業1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 5産業

  • タイトル

石炭の最盛としのび寄る影

合理化も進み一大産業へ躍進
石炭業は、第一次世界大戦の好況を受けて出炭量を飛躍的に増やし、とくに商工業が興るたびに、北海道の石炭が注目された。しかし、大戦後の恐慌で炭価は下落し、各炭鉱は経営難に陥る。炭鉱各社は、生産量を調整して危機を切り抜け、これを機に採掘作業の機械化など合理化も図られた。これが労働環境の改善につながるなど一大産業に成長し、昭和6年にはじまった『満州事変』後は、未曾有の発展期をむかえた。農業の開拓民がまだ入地していない山間奥地に、すでに炭鉱街が形作られていた。事務所や坑員小屋、倉庫・鍜冶場・木工場などの諸施設が建設され、鉄道も敷かれ、さまざまな職種の人々がやってきて商いをはじめた。
*参考資料/新北海道史第一巻概説、第五巻通説四より
  • 産業別生産価格の推移
戦時中の増産と戦後の石炭不足
昭和12年の日中戦争から、石炭は軍需産業を支えるエネルギー源として、生産至上主義のもとに増産が繰りかえされた。
しかし終戦後、アメリカの統制下に置かれたことから、食料不足とともに石炭不足になり、道民生活最大の脅威に。暖房用石炭が、ひと家庭でひと冬4~5t必要なところ、わずか1t前後しか割り当てられなかったのだ。
昭和24年には統制も解除され、昭和25年からの『朝鮮戦争』の特需景気で、出炭量はほぼ戦前レベルに戻り、大量の石炭を全国各地の工業地帯へ供給しつづけた。
*参考資料/新北海道史第六巻通説五より
不況による供給過剰
出炭量を伸ばしつづけていた石炭業は、昭和27年に入ると一変する。
わが国は産業不況に陥り、石炭の需要が減り、供給過剰に陥ったのだ。しかも炭鉱では、労働条件の改善を求めて、労働組合が「ストライキ」に入っていた。需要側は石炭に代わるエネルギーとして、昭和27年7月に統制が解除された重油に転換していった。
石炭業は昭和28年から、整理・統合して再編成する「企業整備」に入った。
*参考資料/新北海道史第五巻通説四より
  • 近年の産業別生産価格の推移

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