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開拓初期:千歳川流域-概要【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 千歳川流域 概要

  • タイトル

千歳川の河川概要

千歳川は、支笏・樽前火山群のフレ岳(1,046m)から流れ出て、わが国を代表するカルデラ湖・支笏湖を経て千歳市街を流下した後、広大な低平地に入り、恵庭、北広島、長沼、南幌をうるおし、その間に漁川や島松川などを合わせ、江別市街で石狩川に合流する。川の長さ108km、流域面積1,244 km2。
サケのふ化事業はここから全道に普及した。支川の内別川に流れ込む60数箇所の湧水群は(ナイベツ川湧水)「名水百選(環境省)」のひとつで、千歳市の上水道にも利用されている。千歳と長沼の境には、むかし長都沼(おさつぬま)という広大な湿地が広がり、そこに千歳川も流れ込んでいた。また夕張川は、昭和11年に新水路が通水するまで千歳川に流れ込み、そこから石狩川との合流点までは「江別川」と呼ばれた。
*参考資料/千歳川河川整備計画、新千歳市史

千歳川流域の開発「古くから交通の要衝」

千歳川の雪景、明治32年頃
千歳川の雪景、明治32年頃

(北海道大学附属図書館蔵)

明治以前から千歳川流域は、タカや砂金、エゾマツの産地、サケ・マスの漁場として知られ、千歳には集会所などを意味する会所が、漁川との合流点には番屋があった。江戸中期になると、交通の要衝「シコツ越え」として知られるようになる。
明治に入ると、重要幹線「札幌本道」が開通し、沿道にまちが形成されていく。一方、資本力を持つ製紙会社が千歳川上流に水力発電所を建設し、下流の江別には工場が開設されるなど、企業による近代的な開発も行われる。農業では寒冷地の米づくりがここで発祥した。
*参考資料/新千歳市史
  • 明治の千歳川流域図 明治の千歳川流域図

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