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開拓初期:幾春別川流域-概要【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 幾春別川流域 概要

  • タイトル

幾春別川の河川概要

幾春別川は幾春別岳(1,063m)を含む夕張山地から流れ出て、渓流を集めながら、桂が密生する三笠の桂沢に至る。奔別川(ぽんべつがわ)を合流した後、石狩平野に入って岩見沢市街を貫流した後、石狩川に合流する。長さ59km、流域面積343km2。
幾春別川上流の桂沢周辺と美唄の美唄川上流は、アンモナイトなど化石の宝庫として知られ、また炭鉱ができるまでは、サケなど多くの魚類も生息していた。
また幾春別川はむかし、幌向川と合流した後に石狩川に注がれていたが、昭和24年の幾春別川を幌向川から直接石狩川に切り替える幾春別川捷水路の通水で、幌向川と分離された。
*参考資料/幾春別川河川整備計画

幾春別川流域の開発 「本道初の事業をつぎつぎと」

幾春別川流域は、美唄川新水路の通水で美唄川と切り離された旧美唄川流域を含む。
幾春別川上流の豊かな森林は江戸時代から知られ、「エゾヒノキ」といわれたエゾマツが生い茂る幾春別岳一帯の伐採を、場所請負人の飛騨屋久兵衛が請け負った。
明治に入ると、北海道ではじめての近代炭鉱開発が進められ、幌内鉄道が北海道ではじめて敷設された。さらに三笠には、「空知集治監」が置かれた。農業を主体に炭鉱と鉄道、道路の整備が進み、岩見沢・三笠・美唄という中核都市の基礎が築かれていく。とくに岩見沢駅は空知の石炭輸送の大動脈を支えた。農業では各まちに大農場がつぎつぎに開かれ、石狩平野有数の米どころの基礎を築いていく。
  • 明治の幾春別川流域図 明治の幾春別川流域図

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