開拓初期:豊平川流域-概要2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 豊平川流域 概要
豊平川流域の開発 「道都のはじまり」
江戸時代、松前藩が開いた「イシカリ十三場所」が豊平川と支川に点在し、人の行き来はあった。幕末になると発寒や星置、琴似や篠路で、農民が住みながら開墾する在住制の開発がはじまる。そして大規模な「イシカリ御手作場(おてさくば)」が大友亀太郎により開かれ、模範農場になった(札幌村・現在の東区)。
明治になると、開拓使札幌本庁舎などの行政機関が置かれる「本府地区」が札幌に置かれることになり、市街が建設されるとともに、近代技術を導入した工場がつぎつぎに操業された。また本府地区と市街地の周辺には農村が形成され、排水事業が行われると開墾地はさらに広がった。
*参考資料/新札幌市史
明治になると、開拓使札幌本庁舎などの行政機関が置かれる「本府地区」が札幌に置かれることになり、市街が建設されるとともに、近代技術を導入した工場がつぎつぎに操業された。また本府地区と市街地の周辺には農村が形成され、排水事業が行われると開墾地はさらに広がった。
*参考資料/新札幌市史
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明治4年の篠路村
(北海道大学附属図書館蔵)