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開拓初期:豊平川流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 豊平川流域 歴史のひとこま

  • タイトル

北海道特有のイシカリ十三場所

明治10年頃の、石狩河口のサケ漁の様子
明治10年頃の、石狩河口のサケ漁の様子

(北海道大学附属図書館蔵)

石狩川と支川沿いには
十三カ所の場所が設けられ、
そのなかで札幌は発寒・篠路・伏古など
5カ所を占め、
明治以前から人の往来があった。
松前藩は南西部の渡島半島南部を支配した(松前地・和人地など)、北海道唯一の藩だった。当時の蝦夷地は米がとれなかったため、江戸幕府は松前藩にアイヌとの交易の独占権を認め、一万石並とした。松前藩は蝦夷地と松前地を分け、家臣に蝦夷地での交易権を分け与えることで今の給料にした(商場(あきないば)知行)。当時は、クマなどの毛皮、タカなどが取引された。その後、交易の権利を商人に与えて運上金をもらう「場所請負制」になり、ニシンやサケ、コンブなどの海産物が増産されて松前藩はうるおった。場所は85カ所設けられ、支配人や通訳、番人などが詰めていた。
  • イシカリ十三場所

    *石狩ファイル「イシカリ十三場所」から抜粋(石狩市)

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