開拓初期:夕張川流域-土地利用1(農業・市街地)【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 夕張川流域 土地利用
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黎明期(明治43年頃)の夕張川上流域の土地利用
※夕張川下流域は20P参照
〈開拓初期の農業の状況〉
千歳川と夕張川が流れる夕張川流域では、「角田村水利組合」の設立という北海道農業史に残る試みが行われていた。この動きにならって、明治35年に「北海道土功組合法」が公布され、道内につぎつぎに土功組合が誕生し水田化が広がった。
また炭鉱開発がはじまった夕張でも、二股や鹿の谷、清水沢などに開拓地があり、ナス、キュウリ、スイカ、アジウリ、長芋などがつくられた。農民は野菜を背負い線路をわたって、1日2回、炭鉱街へ売りに行ったという(夕張市史)。
また炭鉱開発がはじまった夕張でも、二股や鹿の谷、清水沢などに開拓地があり、ナス、キュウリ、スイカ、アジウリ、長芋などがつくられた。農民は野菜を背負い線路をわたって、1日2回、炭鉱街へ売りに行ったという(夕張市史)。