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開拓初期:幾春別川流域-土地利用(農業・市街地)【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 幾春別川流域 土地利用

  • タイトル
  • 黎明期(明治43年頃)の幾春別川流域の土地利用 黎明期(明治43年頃)の幾春別川流域の土地利用

〈開拓初期の農業の状況〉

明治27年から農場の開設が相次ぎ、なかでも美唄の中村農場は(現・中村地区)、三重県と愛知県の団体移住からなる大農場だった。農場主はアメリカ留学経験を持つ22歳の中村豊次郎で、蒸気機関車のエンジンを利用した揚水機(ポンプ)で石狩川から水をくみ上げることに、明治45年に成功した。中村が発注したアメリカ式ポンプを譲り受け、岩見沢北村地区の鏡沼から揚水して水稲を試みたのは、山梨県人・北村雄治だった。試作は順調だったが、凶作に見舞われて3年で終了した。その後、全国でもめずらしい平地の北村牧場を開きまちの発展に貢献したことから、明治33年、岩見沢からの分村時に「北村」と命名された。
上流の三笠では、明治15年に開庁した空知集治監が農業の基礎を築き、明治37年には北海道庁の農事試験場「市来知(いちきしり)桑園」が開かれた(昭和24年廃止)。一方開拓地ではキャベツや大根などの野菜が評判を呼び、40年になるとアジウリの栽培も盛んになり、後の「三笠メロン(ネットメロン、プリンスメロンほか)」の誕生につながっていく。
*参考資料/北村百年史、PiPa「中村のとりめし物語」(株式会社 美唄未来開発センター)、三笠市史

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