明治43年頃:豊平川流域-概要2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 豊平川流域 概要
豊平川流域の開発 「戦後を経て都市化が拡大」
明治37年からの日露戦争で南樺太が日本の領土になり、大正3年からの第一次世界大戦中に起こった「ロシア革命」にともない、シベリアや北樺太に出兵するなど、戦争は北海道の産業・経済に大きく影響した。また第一次世界大戦前後に北海道への移住がピークをむかえ、戦後に札幌に人口が集中した。札幌は小樽や函館 に代わって、北海道の中心になりつつあった。
大正11年に市制が施行され、札幌という一大消費地の周辺を農村が囲み、農業生産では需要地と供給地がバランス良く調和していた。また昭和16年に石狩川への合流点を、下流に切り替える新水路が完成し、豊平川下流の開拓がはじまった。札幌観光の開発も着手され、観光業は交通や他産業にも影響を与えていく。
*参考資料/新札幌市史
大正11年に市制が施行され、札幌という一大消費地の周辺を農村が囲み、農業生産では需要地と供給地がバランス良く調和していた。また昭和16年に石狩川への合流点を、下流に切り替える新水路が完成し、豊平川下流の開拓がはじまった。札幌観光の開発も着手され、観光業は交通や他産業にも影響を与えていく。
*参考資料/新札幌市史
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さっぽろ雪まつり、初期の会場風景
(札幌市文化資料室所蔵)