明治43年頃:幾春別川流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 幾春別川流域 洪水実績
すべてを奪う水害の脅威(洪水体験談や新聞報道から)昭和7年の洪水
『洪水時、鉄道官舎に住んでいた方の体験談』(「幾春別川物語(幾春別川をよくする市民の会)」から一部要約)
私の父は岩見沢機関区に勤めていて、当時の幾春別川は鉄道と官舎をΩ(オーム)の形をなぞるように蛇行していた。一年を通じて川は私達の遊び場だったが、私が一年生のときに体験した水害は、恐怖を覚えさせた。9月上旬は大雨つづきで、またたく間に川水が増え、堤防近くまで水位が上がり、大きな流木などが流れてくるのを見たとき、私は怖くなって「川が海になった」と家に駆けこんだ。官舎群の大人達はひんぱんに堤防を見回っていたが、子どもは避難のため、急きょ親戚の家に連れていかれた。(昭和7年9月10日、流域住民に避難警報が出された)
私の父は岩見沢機関区に勤めていて、当時の幾春別川は鉄道と官舎をΩ(オーム)の形をなぞるように蛇行していた。一年を通じて川は私達の遊び場だったが、私が一年生のときに体験した水害は、恐怖を覚えさせた。9月上旬は大雨つづきで、またたく間に川水が増え、堤防近くまで水位が上がり、大きな流木などが流れてくるのを見たとき、私は怖くなって「川が海になった」と家に駆けこんだ。官舎群の大人達はひんぱんに堤防を見回っていたが、子どもは避難のため、急きょ親戚の家に連れていかれた。(昭和7年9月10日、流域住民に避難警報が出された)
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昭和7年 幾春別川の浸水実績図
(捷水路)