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明治43年頃:空知川流域-十勝岳の噴火【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 空知川流域 十勝岳の噴火

  • タイトル

〈被害の状況〉

大正15年5月24日、十勝岳が噴火した。大規模な水蒸気爆発で発生した岩屑(がんせつ)なだれは残雪を融かし、大規模な泥流になった(大正泥流)。泥流は美瑛川と富良野川に分かれ、富良野川に流入した泥流は爆発後25分余りというスピードで、火口から25㎞下流の上富良野原野に達した。鉄道線路はアメ細工のように曲がり、泥流は道路や水田などを埋め尽くした。さらに中富良野や富良野の北限にまで泥流が押し寄せ、富良野川の水質が酸性化し、学田二区は減収に悩まされたという。この噴火による被害は、死者・行方不明144人、被災戸数482戸に上った。
*参考資料/富良野市史、上富良野百年史
  • 大正泥流の分布図 大正泥流の分布図

    (旭川土木現業所蔵)

十勝岳噴火の脅威

(上富良野百年史掲載「北海タイムス」大15・5・27の記事を現代文に書き換え)
岩見沢での避難状況
岩見沢での避難状況

(岩見沢市蔵)

上富良野の集合避難所は27日まで毎日2,000名以上を収容し、他82カ所の避難所にも6月2日まで総数600余名が収容された。当時の新聞記事によると、集合避難所に指定された明憲寺は、「本堂の庫裡(くり)は人々が重なり合ってわずかに露をしのぐものや、鐘楼(しゅろう)付近には露天下にむしろを敷いてざこ寝する者約千人に達し、さすがに広い寺内もわずかの隙もない状態だった。ただ一人生き残った老爺や親を失った幼児等、悲劇は多すぎて語り尽くせぬほどで、焚き出しのにぎり飯を暗がりの中でムサボリ食う惨状は言葉に言い表せないあり様だった」。

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