昭和55年頃:石狩川右岸流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和55年頃(昭和55年~平成8年頃) 石狩川右岸流域 洪水実績
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昭和56年 石狩川右岸流域洪水氾濫実績図(捷水路)
すべてを奪う水害の脅威 昭和56年の洪水
『当別町の農家の体験談』
(当別町広報を一部抜粋して要約)
雨はほとんど止んでいたのに、水がどんどん上がってきた。この辺りは篠津の大排水から越えてきた水が溜まるので、川下会館に2晩避難した。悲しかったのは、近所の仲間(当時39 歳)がトラクターごと排水に落ちて亡くなったこと。探そうにも一面は泥水で、当時の排水路は幅も深さも大きく、グレーダー(選別機)にワイヤーをかけて探した。
私はその頃、転作のため農地を買い足し、畑全面にまいた小豆がいよいよ収穫というその時、畑は水浸し、さらに2週間後にも追い討ちをか ける雨が降り、結果は全滅だった。大損害で、せっかく買ったその畑も売りに出さざるを得なかった。農家にとって水害は地震や火事より、恐ろしいものだ。
(当別町広報を一部抜粋して要約)
雨はほとんど止んでいたのに、水がどんどん上がってきた。この辺りは篠津の大排水から越えてきた水が溜まるので、川下会館に2晩避難した。悲しかったのは、近所の仲間(当時39 歳)がトラクターごと排水に落ちて亡くなったこと。探そうにも一面は泥水で、当時の排水路は幅も深さも大きく、グレーダー(選別機)にワイヤーをかけて探した。
私はその頃、転作のため農地を買い足し、畑全面にまいた小豆がいよいよ収穫というその時、畑は水浸し、さらに2週間後にも追い討ちをか ける雨が降り、結果は全滅だった。大損害で、せっかく買ったその畑も売りに出さざるを得なかった。農家にとって水害は地震や火事より、恐ろしいものだ。
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石狩川・当別川・豊平川合流点から上流の氾濫状況(昭和56年8月洪水報告書より)