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19 大友掘【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

19 大友掘

江戸時代につくられた札幌の礎

札幌の東区は、かつて「札幌村」と呼ばれ、江戸時代にすでに開拓されていた。基礎を築いたのは、幕府の役人だった大友亀太郎だ。二宮尊徳の門下生で、報徳を心情にした。
慶応2年、箱舘奉行から御手作場(おてさくば・官営農場)をつくることを命じられた大友は、フシコサツポロ川(現・伏篭川)上流を適地に定め、ただちに道路と橋の建設、舟運と用排水を目的に水路を掘削した。「百万両の大工事」といわれた大友堀は、南3条付近にかつて流れた胆振川を水源に、北6条へ直進し、そこから東北にのびて札幌村のフシコサツポロ川に合流した。この水路は、本府建設のための物資輸送ルートとして活用された(石狩~篠路川~フシコサッポロ川~大友掘)。明治3年に、北6条~琴似川合流点(寺尾堀)、上流南3条~南7条(吉田堀)が掘削され、明治7年には「創成川」に改称された。今も大友堀は、その一部分として役割を果たしている(下流部は埋立て)。
「札幌開祖」と今も地域に敬われる大友亀太郎は、明治維新後は開拓使に就いたが、数年で郷里に戻った。札幌村は、「札幌黄」で知られるタマネギの名産地へと発展していった。
  • 明治4年頃の大友堀 明治4年頃の大友堀

    (北海道大学附属図書館蔵)

開拓初期
  • 明治初期の札幌北部の河流と創成川開削の経緯 明治初期の札幌北部の河流と創成川開削の経緯

    「石狩川舟運誌」(財)石狩川振興財団

所在地
  • 南3条から北東して大友公園付近 南3条から北東して大友公園付近

    (東区北13条東16丁目)

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