72 産業開発青年隊【札幌開発建設部】治水100年
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石狩川治水に係わる主な事業
72 産業開発青年隊
若い力が戦後の開発を支えた
太平洋戦争直後、農村に次男三男などを中心に過剰な労働力があふれた。また戦後の復興をになう建設現場には、ブルドーザーなどの機械はほとんどなかった。このような状況から、「働きつつ学ぶ」という教育理念のもと、第一線の技術者を養成する「産業開発青年隊」が、昭和28年、当時の建設省に発足し、北海道では36年に誕生した。国の事業のなかで、一般教育と機械施工の技能教育を行い、有能な人材を建設業界に送ることで、北海道開発の促進に貢献することを目的とした。河川班の教育の場になったのは、昭和36年に通水した石狩川と雨竜川の合流点付近の「六戸島新水路」工事だった。その後、石狩川捷水路事業の「空知川新水路」「砂川築堤」、そしてふたたび六戸島の、雨竜川の石狩川への合流点を下流に付け替える「六戸島背割堤」など、石狩川の歴史的な治水工事を支えた。発足以来、374人の優秀な技能者を輩出し、初期の目的は達成したことから、11年間にわたる実践教育は終了するに至った。妹背牛と砂川には彼等の活躍を讃えた碑が建てられた。若者を表わすYがモチーフだ。
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六戸島第二分隊江部乙隊舎
(滝川河川事務所史より)
明治43年頃
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「石狩川改修青年流汗之碑」砂川市空知太松浦台
(石狩川の碑)
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「青年流汗之碑」妹背牛町下メム
(石狩川の碑)