石狩川の歴史
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石狩川の歴史
土地利用の変遷
明治2年、未開の原野であった北海道に、開拓の斧が振りおろされました。それ以降、湿地が広がっていた中下流部では低平地を農地へと転化させるために、治水事業や農地開発が行われ、昭和中期から後期には流域に広大な農地が広がるまでになりました。
現在の流域の土地利用は、山林・原野が60%、水田や畑など農地が約17%、宅地など住宅地が約3%、その他が約16%となっています。
現在の流域の土地利用は、山林・原野が60%、水田や畑など農地が約17%、宅地など住宅地が約3%、その他が約16%となっています。
洪水と治水の歩み
人々に多くの恵みをもたらし、多種多様な生物の命を育む石狩川。しかし、かつては流域一帯に広大な泥炭地が続き、そのなかを川が縦横に蛇行していたために出水氾濫が発生しやすく、幾度となく大きな被害をもたらしてきました。そのため、この石狩川を治め、人々の安全な暮らしを守ることは開拓以来、常に重要なテーマであり、先人たちは様々な取り組みを進めることで、川との共存を図ってきました。
洪水発生 年 |
気象 原因 |
代表地点 雨量 (ミリメー トル /3日) |
石狩大橋 地点流量 (立方メー トル/秒) |
被害等 |
---|---|---|---|---|
明治31年 9月 |
台風 | 札幌 158 旭川 163 |
不明 | 家屋被害18,600戸 氾濫面積1,500平方キロメートル 死者112名 |
明治37年 7月 (写真1) |
台風・ 前線 |
札幌 177 旭川 152 |
対雁 氾濫戻し 流量 8,300 |
家屋被害16,000戸 氾濫面積1,300平方キロメートル |
大正11年 8月 |
台風 | 札幌 66 旭川 105 |
不明 | 家屋被害9,200戸 氾濫面積不明 死者7名 |
昭和7年 8月~9月 |
低気圧・ 停滞性 前線 |
札幌 140 旭川 125 夕張 216 |
対雁 氾濫戻し 流量 8,300 |
家屋被害18,100戸 氾濫面積1,400平方キロメートル 死者9名 |
昭和36年 7月 (写真2) |
低気圧・ 前線 |
札幌 140 旭川 125 夕張 216 |
4,515 (氾濫戻し 流量 6,800) |
家屋被害23,300戸 氾濫面積523平方キロメートル 死者11名 |
昭和37年 8月 (写真3) |
台風・ 前線 |
札幌 203 旭川 95 富良野170 |
4,410 (氾濫戻し 流量 8,100) |
家屋被害41,200戸 氾濫面積661平方キロメートル 死者7名 |
昭和50年 8月 (写真4) |
台風・ 前線 |
札幌 175 旭川 193 夕張 164 |
7,533 (氾濫戻し 流量 8,620) |
家屋被害20,600戸 氾濫面積292平方キロメートル 死者9名 |
昭和56年 8月上旬 (写真5) |
低気圧・ 前線・ 台風 |
札幌 294 旭川 296 岩見沢406 |
11,330 (氾濫戻し 流量 12,080) |
家屋被害22,500戸 氾濫面積614平方キロメートル 死者2名 |
昭和56年 8月下旬 |
前線・ 台風 |
札幌 229 岩見沢124 |
4,332 | 家屋被害12,200戸 氾濫面積57平方キロメートル 死者1名 |
昭和63年 8月 |
停滞性 前線 |
札幌 66 旭川 119 石狩沼田425 |
5,759 | 家屋被害2,000戸 氾濫面積65平方キロメートル |
平成13年 9月 |
秋雨前 線・台風 |
札幌 153 旭川 169 岩見沢151 |
6,598 | 家屋被害70戸 氾濫面積38平方キロメートル |