開拓初期-洪水実績2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 1洪水実績
開拓を後退させた未曾有の大洪水
明治31年(1898年)9月6~8日洪水
■降 雨 量 札幌158mm/3日
■氾濫面積 1,500km2
■死 者 112人
■被害家屋 18,600戸
■降 雨 量 札幌158mm/3日
■氾濫面積 1,500km2
■死 者 112人
■被害家屋 18,600戸
明治31年洪水
石狩川流域には年々移住者が増え、全道人口の半分を占めるまでになっていた。入植地は、洪水が起こると被害が予想される、「洪水氾濫区域」にまで広がっていた。
そして明治31年9月、12時間で71.5mmを記録する豪雨により大洪水が発生。石狩平野はほぼ冠水し、幅約40キロメートル延長約100キロメートルの、巨大な泥海が出現した。
この洪水で農作物はほぼ全滅、やっと架けられた橋や開通したばかりの鉄道線路も流され、北海道開拓を後退させるほどの大きな被害になった。
石狩川流域では、各地の関係者が集まって『石狩川治水期成会』を結成し、石狩川治水を求める7,114人の署名を持って、国や北海道庁に訴えつづけた。中央でも、北海道協会会頭で貴族院議長の近衛篤麿(このえあつまろ)が、"北海道開拓の一大障害は、北海道治水方式の計画なきことなり"と、北海道開拓を管理する内務大臣に願い出ていた。
明治31年洪水を契機に、石狩川の治水計画を策定するための調査が行われることになり、同年に『北海道治水調査会』が設置された。
そして明治31年9月、12時間で71.5mmを記録する豪雨により大洪水が発生。石狩平野はほぼ冠水し、幅約40キロメートル延長約100キロメートルの、巨大な泥海が出現した。
この洪水で農作物はほぼ全滅、やっと架けられた橋や開通したばかりの鉄道線路も流され、北海道開拓を後退させるほどの大きな被害になった。
石狩川流域では、各地の関係者が集まって『石狩川治水期成会』を結成し、石狩川治水を求める7,114人の署名を持って、国や北海道庁に訴えつづけた。中央でも、北海道協会会頭で貴族院議長の近衛篤麿(このえあつまろ)が、"北海道開拓の一大障害は、北海道治水方式の計画なきことなり"と、北海道開拓を管理する内務大臣に願い出ていた。
明治31年洪水を契機に、石狩川の治水計画を策定するための調査が行われることになり、同年に『北海道治水調査会』が設置された。
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明治31年洪水氾濫区域
*「明治北海道洪水概況、附図面」(北海道立図書館蔵)