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開拓初期-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

開拓初期(明治初期~明治42年頃) 3土地利用(農業・市街地)

  • タイトル

石狩川下流の湿地を避けて広がる農地

黎明(れいめい)期の土地利用
畑は上川盆地と、石狩低地帯まで広がった。しかし、石狩川下流は蛇行(だこう)が多く泥炭地が広がっていたため、ほとんど開発の対象にならなかった。一方水田は、上川盆地で広がりをみせ、深川、秩父別、雨竜、新十津川などでも拡大のきざしをみせている。北海道が稲作の普及に乗り出したのは、明治25年以降なので、内陸部の水田開発が急速に進んでいったことがわかる。
主要道路と鉄道の整備は進み、とくに低地帯には植民区画に沿った道路網が形成されている。しかし、泥炭地を横断し、石狩川右岸と左岸を連絡する交通路は「江別~当別間」「峰延~月形間」の二路線のみだった。
また札幌市と旭川市では、小規模ながら市街地が形成されている。
*参考資料/北海道開発局農業水産部農業設計課「石狩川 流域の土地利用と、その展開過程」より
北海道に適した西洋式農業の模索
開拓使は、アメリカから機械・農具・種苗を輸入して、北海道の風土に適した西洋式の生産技術を試みた。アメリカから招へいしたお雇い外国人ホーレス・ケプロンとウィリアム・スミス・クラークは、「寒い北海道は稲作に向かない」と、酪農と畑作の混合農業を奨励し、開拓民には牛馬を飼わせることとし、食生活もパンとミルクをすすめた。
試作された農作物の中で、大麦・小麦・バレイショ・ビートなどは、後に北海道の主要農産物となる。また、良種を輸入して在来の牛馬と配合するなど、酪農王国の基礎も築かれていく。
*参考資料/北海土地改良区八十年史より
  • 新移住者に対する殖民地の開墾指導風景 新移住者に対する殖民地の開墾指導風景

    (石狩川振興財団蔵)

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