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明治43年頃-交通4【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 4交通

  • タイトル

自動車輸送の台頭と鉄道の衰退

道路整備が進みバス輸送が躍進
昭和11年の『陸軍特別大演習』で、道路整備にたくさんの資金が投入され、「札幌~小樽間」に新国道が開通(国道5号)、維持管理に金がかかることから「黄金道路」と呼ばれた「日高~十勝間」をむすぶ海岸道路も開通した。「札幌~小樽間」には省営バス(当時の鉄道省運営)が運行をはじめた。昭和24年になると、自動車用軽油の割当が緩和され、民営バス事業も活発になった。
昭和29年にバス輸送人員は1億人を超え、昭和30年代のはじめには主要道路のほとんどにバス路線がつくられ、鉄道旅客をしのぐほどになった。
*参考資料/新北海道史第一巻概説、第六巻通説五より
近代道路の先駆け・弾丸道路
明治6年に開通した「札幌本道(函館~札幌間)」は、その後の鉄道の発達で役割を減らしていた。しかし 戦後に連合軍が千歳市に進駐するようになり、「千歳空港」に千歳~羽田便が就航すると、「札幌~千歳間」の自動車交通量は急増した。札幌本道はふたたび重要路線になり、昭和27年に『国道36号』に指定され、改良・舗装されることになった。
工事は昭和27年に着工され、延長34.5キロメートル区間を1年余りで完成させたことから、『弾丸道路』と呼ばれた。当時の道路はコンクリート舗装が一般的だったが、弾丸道路は短期間で完成させるためにアスファルトで舗装するなど、弾丸道路には寒冷地に適した最新技術が施され、北海道における道路整備のあり方をも示した。
*参考資料/恵庭市公報誌「弾丸道路を造る」より
  • 昭和14年頃のおもな道路網 昭和14年頃のおもな道路網

    *「北海道道路史(北海道道路史調査会編)」より

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