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明治43年頃-産業6【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 5産業

  • タイトル

石狩川の幸を生かす

石狩川のヤツメ漁とワカサギ漁
石狩川のヤツメウナギの産地・江別市では、昭和初期に漁家が13戸ほどあり、15隻ほどの船で、サケ・ウグイ・ヤツメウナギを獲っていた。昭和9~10年は豊漁だったことから、水産会社と提携して「ヤツメ肝油」の製造と、「素乾(すぼし)品」の加工もはじまった。
また、日本海のニシンが昭和20年代に消えたことから、その代用として生産量の大きいワカサギが注目された。茨戸川などには、『イシカリワカサギ』という固有種が棲息し、古くから漁が行われていたが、昭和34年から本格的に増殖事業がはじまった。
以降、石狩川の中下流域、または旧川(三日月湖)で増養殖事業と加工事業が行われている。
岩見沢市北村や新篠津村では、漁場を遊魚場として一般解放し、数少ない冬の遊び場として近隣地域からも愛好者がくるほどだ。
*参考資料/生振開村百二十年、北村史、えべつ昭和史より
  • 現在もつづく茨戸川のワカサギ漁

開拓途上の北海道が脚光を浴びる

魅力を秘めた北海道観光
戦後、社会が落ち着きを取り戻すと観光が復活し、なかでも北海道が脚光を浴びはじめた。石狩川流域では、昭和9年に石狩川源流の『大雪山』が、昭和24年には支川の千歳川源流『支笏湖』が、国立公園に指定されていた。 昭和23年の道外観光客は56,000人で、外国人観光客は2,000人にすぎなかったのに対し、5年後の昭和28年には道外観光客は約68万人、外国人観光客は43,000人と、急速に増加していった。観光地別では、観光客の約半数が支笏湖などの景勝地、次いで札幌市や旭川市などの主要都市を訪れた。
札幌市では昭和25年に『第一回さっぽろ雪まつり』が開催され、冬観光の目玉に成長していく。開墾では困難を極めた北海道の大自然が、大きな観光資源になりはじめたのだ。
*参考資料/新北海道史第六巻通説五より

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