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昭和35年頃-土地利用2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 3土地利用(農業・市街地)

  • タイトル

石狩川の改修が進み泥炭地も農地に

沈滞期の土地利用
戦後の『農地改革』は、昭和27年までに全小作地の92%にあたる約34万haの農地を解放し、土地の所有制度を革命的に変えた。
沈滞期(昭和29年~37年)は、総合開発による土地利用の変化が起こる直前の状態を示しているが、泥炭地に畑がつくられ、水田化も進んだことがわかる。これは石狩川の改修が進み、冠水の恐れが少なくなったことから、大規模な土地改良事業が各地で行われたことを表している。こうして石狩川中下流域は、泥炭地も含め、そのほとんどが水田化された。北海幹線用水路の開削で、水利が改善された「美唄~岩見沢間」はじめ、石狩低地帯中南部の水田化も急速に進んだ。上川盆地では、ほぼ全域が水田になり、富良野盆地の低地帯も水田に転換された。
*参考資料/北海道開発局農業水産部農業設計課「石狩川流域の土地利用と、その展開過程」より
  • 北海幹線用水路・三笠市の市来知幹線(北海道遺産事務局蔵) 北海幹線用水路・三笠市の市来知幹線(北海道遺産事務局蔵)
水田環境を一体的に整備する
高度経済成長は、農業と工業との所得格差を生み、農業人口の急速な減少が問題になった。このため国は食糧増産から、農業構造の改善と生産性の向上をめざす、農業基盤の整備に政策を転換した。
昭和38年に創設された『ほ場整備事業(現在の「経営体育成基盤整備事業」)』は、大きさも形もバラバラな水田を1枚の大きな水田に整理し(耕地の集団化)、農道を広くしたり、用排水路を土の中に通すことで(暗渠・あんきょ)農作業の機械化にも対応し、大規模経営が可能になった。
  • 赤平市の北海頭首工(北海道遺産事務局蔵) 赤平市の北海頭首工(北海道遺産事務局蔵)

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