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昭和35年頃-土地利用3【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 3土地利用(農業・市街地)

  • タイトル
農作業の省力化と機械化
稲作技術は、除草剤と耕運機の普及で省力化が進み、トラクターも歩行型から乗用型に進歩し、昭和41年の水田の動力耕耘面積は90%を超えるほどに。ほ場の整備は、農作業の機械化にも対応する事業だった。こうした政策で、北海道は食料供給基地にふさわしい、大型で機能的な農地が形成されていく。
また水利施設も近代化された。『北海幹線用水路』は、昭和32年から、空知川頭首工を改修して『北海頭首工』に名称変更し、昭和47年には用水路のすべてがコンクリートに装工された。
*参考資料/新北海道史第六巻通説五、空地支庁「そらち産業遺産と観光」より
減反政策と農地の転用
食生活の欧米化が進み、米の消費は減少し余るよう になった。国は昭和45年から新規の水田開発を禁止し、畑作への転作を奨励するなど、『米生産調整対策(減反政策)』が本格的に進められた。米どころの北海道には、とくに重い配分がなされ、離農は一層進むとともに、昭和30年代後半には、札幌市など都市部の農地を工場や住宅にする、「農地転用」が増えていった。
一方で減反政策は、地域の特徴を生かした、高収益な作物の生産につながった。石狩川流域では、幌加内町が米からソバへの転作を図り、今では日本一の生産地に。また恵庭市や江別市など、一大消費地・札幌市の近郊という地理的な優位性を活かして、米から花へ転作するなど、都市農業を確立している。
*参考資料/北海道庁農政部「北の農業情報広場(hao)」より
  • 広い農地で機械を使った農作業(石狩川振興財団蔵) 広い農地で機械を使った農作業(石狩川振興財団蔵)

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