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昭和35年頃-交通1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 4交通

  • タイトル

鉄道輸送の伸び悩みと自動車社会の到来

渡船も役割を終える
昭和30年に国営になった『石狩川(河口)渡船場』では、両岸に桟橋と待合所が設けられた。自動車用の桟橋は一部が電動式で、川の水位に合わせて上げ下げすることができるなど、利用の便がさらに図られ、昭和46年には利用者が1,200人を超えてピークをむかえた。しかし、翌47年に『石狩河口橋』が開通すると、車を運ぶフェリーポートは廃止され利用者は激減、昭和53年3月、河口の渡船はすべて廃止された。
同様に、石狩川流域に残された渡船場も、昭和50年頃にはほとんど姿を消した。河川改修が進み洪水による道路の被災も少なくなり、整備が進んだためだ。
*参考資料/「川の道・石狩川の舟運物語」より(出典:「いしかり渡船場物語」当時の石狩町郷土研究会)
  • 石狩川渡船場の利用者数・接岸中のちどり丸
旅客輸送の多様化と鉄道の苦戦
戦後、『日本国有鉄道(通称・国鉄)』は設備投資に出遅れ、高度経済成長の輸送需要に応えられなかった。一方、道路は急速に整備が進み、旅客輸送量では自動車輸送が鉄道を上回るようになった。貨物輸送では、石炭などの鉱産物に代わって工産物が増えた。昭和40年代からの炭鉱の閉山と農漁村の過疎化が、旅客にも貨物にも影響した。カーフェリーの就航による、トラック輸送の長距離化・広域化も自動車輸送の増加に拍車をかけた。
昭和35年、国鉄は赤字路線の撤去とバスへの切り換え方針を打ち出し、石狩川流域では、昭和47年に札沼線「石狩沼田~新十津川間」が廃止された。
*参考資料/北海道史第一巻概説、第六巻通説五より
  • 北海道の陸上旅客輸送量の推移

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