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昭和35年頃-産業3【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 5産業

  • タイトル

地域の特色を生かした産業

農家の副収入になったドジョウ
北村(現在は岩見沢市)に棲息するドジョウは、体長もあって栄養価も高い上質なものだ。ドジョウ自体の食用需要が増えると、他市町村や本州の業者が北村にやってきて乱獲がはじまった。この対策に、昭和46年、地域住民が『北村どじょう養殖保護育成組合』を設立し、ドジョウの養殖と採捕事業を行うことに。ドジョウはいつも排水路などにいるので、ドウ網をかけて約5日おきに取り出す程度の手間でよかった。札幌市や岩見沢市、美唄市などに出荷され、全道一の生産量を誇った。
昭和49年からは『北村淡水魚まつり』が行われ、住民にドジョウ汁などがふるまわれ人気を呼んだ。
*参考資料/北村史
  • 水田の排水路に棲息する北村ドジョウ 水田の排水路に棲息する北村ドジョウ
レンガから新建材へ
野幌地域でつくられたレンガは、鉄道の駅舎や車庫、トンネルや橋など社会基盤整備に多く使われ、北海道の近代化に貢献したばかりか、『開拓使麦酒醸造所(後のサッポロビール第一製造所)』や小樽市内の建造物など、名だたる建築物に使われた。
しかし、コンクリートなどの新建材に押され、生産量は減少し、工場も姿を消していった。
*参考資料/江別市「えべつ昭和史」、NPO法人やきもの21「野幌の窯業の跡地」

観光開発に本腰を入れる
昭和30年代に入ると、観光も大衆化時代をむかえ、北海道は「未開地観光地」としてブームを呼んだ。これを受けて昭和38年からの『第二期北海道総合開発計画』に観光開発が組み込まれ、冬の観光にも力が注がれた。昭和35年に約1,375万人だった観光客は、昭和50年には7,244万人になるなど順調に伸び、観光は産業として成長していった。
しかし、北海道では急増する道外観光客を受け入れる体制が、交通面からも施設面からも、まだまだ不充分だった。観光地をつなぐ地方の道路は「未改良道路」が多く、宿泊施設も個人経営の宿などが点在する程度だった。
*参考資料/新北海道史第一巻概説、北海道経済部観光局「観光入込客数(延べ人数)の推移」より
昭和35年の観光地別人込み状況

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