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昭和35年頃-産業2【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 5産業

  • タイトル

木工団地の造成と道産家具の躍進

木工業の発展と工場の集団化
木材需要はパルプが増大傾向にあるほか、昭和35年以後、広葉樹の利用が進められ、製紙のほかにさまざまな用途がある「チップ」の生産が盛んになった。しかし全国的に外国材の輸入が国産材を上回る状況で、道内でも外国材に依存するようになっていった。
国は昭和30年代以降、中小企業の対策として、工場や店舗などが集団で移転し、公害等の問題のない適地に団地などを造成する「集団化事業」を進めた(工業・木工・鉄工・流通など)。北海道では、戦後にアメリカ進駐軍がやってきて、家具や建具を発注したことから家具の生産が再開され、技術が向上していった。高度経済成長期になると、木製品の需要は年々増え、デザイン・品質・価格ともに本州先進地の製品にも劣らぬほどになり、道外市場への有望分野になった。さらに近代化と合理化を進めるため、まず旭川市に昭和33年から木工団地の建設が進められ、市内東部の農地を転用して、第一弾31社が集団で移住した。この団地は、モデルケースとして全国的に注目された。昭和38年以降は、「岩見沢木工団地」や「札幌木工センター」ができた。
* 参考資料/新北海道史第六巻通説五より
昭和38年当時の札幌市西区「木工団地」
五大産地に発展した旭川家具
北海道は網走・十勝・上川管内が主要森林地帯で、この3地域だけで道内木材生産量の約50%を占める。
石狩川水系の豊かな水に囲まれた旭川市は、古くから「家具のまち」として知られている。
『旭川家具』のはじまりは、『陸上自衛隊第7師団』の設置と鉄道の開通だった。第7師団の建物をつくるため、また客車などの製造・修理をする工場がつくられたため、たくさんの職人や技術者が移住した。彼等はやがて家具作りにたずさわるようになる。一方大正2年の秋は大凶作に見舞われ、まちの経済を安定させるため、市は工業を育てることとし、一環として『木工伝習所』を設置して、木工技術の向上を図った。しかし、戦争などで新しい技術の取得に遅れ、旭川家具のイメージを損なう恐れがあったので、関連企業は集まって「旭川木工祭り」を開催して盛り上げた。産地の展示販売会は当時斬新で、今では恒例の催しに定着した。
こうして旭川家具は、わが国の家具の五大産地の一つに成長していったのだ。
*参考資料/旭川市経済観光部ものづくり推進室「旭川家具のこれまでとこれからのはなし」より

  • 旭川家具センター

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