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昭和35年頃-歴史のひとこま1【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 歴史のひとこま

  • タイトル

五輪ノスタルジア

昭和四七年に開催された札幌冬季オリンピック。
生まれ変わる札幌を実感した悲願のオリンピックには、
いくつもの物語があった—
  • 選手村・真駒内アイスアリーナ・真駒内屋外競技場(札幌市写真ライブラリー蔵) 選手村・真駒内アイスアリーナ・真駒内屋外競技場(札幌市写真ライブラリー蔵)
幻のオリンピック
第二次世界大戦前、じつは札幌は冬季大会開催地に決まっていた。当時、夏季大会を開催した国が、冬季大会も開催できる権利があり、昭和15年に『東京オリンピック』が決まっていたので、冬の候補地に札幌が有力視され、昭和13年のIOC会議で決定された。日本で準備が進みムードも盛り上がるなか、日中戦争は泥沼化していった。ついに昭和13年7月、東京・札幌両オリンピックは返上された。
30年以上の歳月を費やした平和の祭典だった。
* 参考資料/札幌市文化資料室「ふたつの札幌オリンピック展」より
歌い継がれる名曲誕生
オリンピックのメインテーマ『虹と雪のバラード』の詞は、難産のすえに誕生した。
作詞は、小樽出身の札幌医科大学名誉教授・河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)。高名な詩人でもあり、NHKから開幕の2年前に依頼された。“重々しいものではなく、だれもが口ずさみ、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること”という相反する条件に、2週間もペンが進まぬ日々がつづいたが、「ロマンに満ち溢れる北国の人々の心に脈うつ青春の讃歌」ができあがった。
銀盤の妖精の落書き
ジャネット・リン選手
オリンピック期間中、「選手村」として使われた施設は、『五輪団地』に活用されることになった。
大会後、アメリカのフィギュアスケート選手、ジャネット・リンが使った部屋の壁から“Peace&Love”の落書きが見つかった。関係者はこの落書きを消すべきか否か迷ったが、購入希望者から「消さないで」との要望があり、そのまま引き渡された。
世界を魅了した妖精の祈りは届いた。
*参考資料/読売新聞「特選!五輪講座」より

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