開拓初期:豊平川流域-土地利用3【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 豊平川流域 土地利用
エドウィン・ダンと真駒内用水
お雇い外国人として明治9年に札幌入りしたエドウィン・ダンは、真駒内に牧牛場(真駒内種畜場)を開き、飼育の指導と北海道に適した種の交配を試みた。また、バター、チーズ、練乳の製造およびハム、ソーセージの加工技術も指導した。ダンは牧羊場や養豚場、恵庭に牧馬場も開いて酪農の基礎を築いたばかりか、楕円形のコースで全速力で競いあう西洋式レース(現在の競馬)も提案するなど、広範囲にわたって指導した。太平洋戦争後、米軍の接収で真駒内種畜場は上川郡新得町に移転したが、事務所は残されて現在の真駒内中央公園に移された。現在のエドウィン・ダン記念館である。
また明治12年、ダンの進言で真駒内種畜場へ用水を供給するため、豊平川支川・真駒内川から取水する「真駒内用水」が開削された。平岸村や白石村の牧牛場や水田にも水を運ぶ、長さ30㎞の一大水路網のひとつになった。その後都市化が進み、真駒内用水の大部分は埋立てられ、残された部分も老朽化が進んでいた。地元住民を中心に、「開拓当時の姿に復活させよう」という声が高まって、平成9年から環境整備事業が行われ、玉石護岸は再生され散策路も設けられ、地域の水辺として親しまれている。第10回札幌市都市景観賞(平成13年)受賞。
*参考資料/エドウィン・ダン記念館について、川と人第19号・札幌市「真駒内用水環境整備事業」
また明治12年、ダンの進言で真駒内種畜場へ用水を供給するため、豊平川支川・真駒内川から取水する「真駒内用水」が開削された。平岸村や白石村の牧牛場や水田にも水を運ぶ、長さ30㎞の一大水路網のひとつになった。その後都市化が進み、真駒内用水の大部分は埋立てられ、残された部分も老朽化が進んでいた。地元住民を中心に、「開拓当時の姿に復活させよう」という声が高まって、平成9年から環境整備事業が行われ、玉石護岸は再生され散策路も設けられ、地域の水辺として親しまれている。第10回札幌市都市景観賞(平成13年)受賞。
*参考資料/エドウィン・ダン記念館について、川と人第19号・札幌市「真駒内用水環境整備事業」
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真駒内牧場のエドウィン・ダンと輸入馬、明治10年頃
(北海道大学附属図書館蔵)
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よみがえった真駒内用水
(札幌市蔵)
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札幌桑園開発の旧庄内藩士族たち
(札幌市文化資料室所蔵)