開拓初期:雨竜川流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 雨竜川流域 洪水実績
-
明治31年 雨竜川洪水氾濫区域
(北海道洪水概況・附図面・北海道立図書館蔵)
すべてを奪う水害の脅威 明治31年の洪水 (洪水体験談や新聞報道から)
音江地区と深川との間の渡船で、8人が激流に流され犠牲になった。この渡船近くで小間物屋を開いていた者は家も商品も流され、まもなく深川市街へ移った。音江地区では、水稲耕作の功労者である片岡松五郎が、備蓄米のなかから三俵をかつぎ出し、水門付近で炊き出しをした。また北海道庁は救助米を、「石狩川運漕会社」の汽船と磯(いそ)船で砂川へ運び、ここから汽車で妹背牛派出所に届け、被災者の当面の食糧にあてた。被災者はそれまで絶食していたという。
*参考資料/新深川市史
*参考資料/新深川市史