開拓初期:石狩川上流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 石狩川上流域 洪水実績
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明治31年 石狩川上流域洪水氾濫区域
(北海道洪水概況・附図面・北海道立図書館蔵)
すべてを奪う水害の脅威 明治31年の洪水 (洪水体験談や新聞報道から)
建設中だった鉄道の上川線「空知太~旭川間」(上川線、現・函館本線)の、石狩川と空知川に架けられた仮橋3カ所が流出し、その復旧に時間がかかり、6月1日の開業予定が7月16日に延期された。さらに20日からの雨で、現在の常盤橋と思われる橋が増水で流され、上川線も不通になり、物流が止まった。これにより、とくに米不足が深刻だったと当時の新聞記事は伝えている。
しかし本番の9月洪水では上川盆地の各河川が一斉に氾濫し、旭川は石狩川と忠別川の濁(だく)流が流れ込んで氾濫し、交通と電信が途絶え孤立無援の状態になった。
*参考資料/新旭川市史に掲載された「北海道毎日新聞」の記事を要約
しかし本番の9月洪水では上川盆地の各河川が一斉に氾濫し、旭川は石狩川と忠別川の濁(だく)流が流れ込んで氾濫し、交通と電信が途絶え孤立無援の状態になった。
*参考資料/新旭川市史に掲載された「北海道毎日新聞」の記事を要約