開拓初期:石狩川上流域-概要2【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
開拓初期(明治初期~明治42年頃) 石狩川上流域 概要
石狩川上流域の開発 「離宮構想と軍都」
明治19年に開庁した北海道庁は「上川離宮構想」を掲げ、上川地方を中心に内陸開拓を一気に進めた。道路や鉄道が上川まで延長され、そこから道東や道北、十勝まで通じる全道交通網が整備されていった。また屯田兵を大増強し、上川とともに空知地方に配置し、これで石狩川流域はほぼ開墾された。さらに札幌から第七師団の移駐が決まり、旭川の産業・経済の基礎が成立した。
石狩川流域のなかで最も内陸だったので、米づくりはむずかしいといわれたが、内陸性の気温や大雪山の融雪水が稲の生育に必要な条件を補い、タコ足直播器の普及で水田化が劇的に進んだ。
石狩川流域のなかで最も内陸だったので、米づくりはむずかしいといわれたが、内陸性の気温や大雪山の融雪水が稲の生育に必要な条件を補い、タコ足直播器の普及で水田化が劇的に進んだ。
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神居古潭ノ景
(北海道大学附属図書館蔵)