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明治43年頃:夕張川流域-産業【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 夕張川流域 産業

  • タイトル

<この時代の産業の状況>

夕張随一の炭鉱遺産といわれる清水沢火力発電所
夕張川の炭鉱は、戦中・戦後の増産に次ぐ増産で、終戦直後に進駐軍の統制があったものの、大小24の鉱山を擁する空知を代表する炭鉱地へと発展した。炭鉱に供給するため、電力の開発も積極的に進められた。大正2年に楓発電所(清水沢発電所の建設で廃止)、13 年は夕張川に水力発電所「滝の上発電所」、火力発電所「清水沢火力発電所(解体中)」が竣工した。
由仁では、昭和7年、夕張山地の原木を使ったベニヤ(合板)工場が川端地区に開設された。由仁で一番大きな工場 で、従業員戸数は130戸に 上り、川端市街は活気にあふれた。また由仁は、長沼や栗山の農産物が由仁駅と三川駅に集まり、木材は川端駅に集まる、夕張川流域の集散 地として役割を果たした。
*参考資料/由仁町史など

日本軍御用達・日本一のきびだんご

「日本一きびだんご」
大正2年、谷田製菓が栗山で創業した。開拓精神と関東大震災の復興を願い、12年に看板商品「日本一きびだんご」が発売された。当時は世界的な戦争の時代で、桃太郎の鬼退治が戦争の イメージに合うということから、陸軍の携帯用 菓子、兵営の売店用商品として不動の人気をほこった。昭和12年からの日中戦争(日華事変)でも前線に送られ、昭和16年に神戸に、18年には中国の天津に工場が建てられた。さらに海軍にも納入され、工場はフル稼働だったが戦後をむかえた。一般にはぜいたく品の高値の花だった。
さて、「桃太郎」の発祥地とされる岡山にもきびだんご菓子はあるが、それはお話同様に丸い形だ。一方、「日本一きびだんご」は長方形で、本州の人からみるとめずらしく、テレビ番組で取り上げられて以来、ふたたび注目を集めている。型に流し込むだけの作業で済むことから長方形になったといわれ、むかしながらの味と形は今も変わらない。
*参考資料/栗山町史

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