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明治43年頃:幾春別川流域-流域の文学【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 幾春別川流域 流域の文学

  • タイトル

小林多喜二「防雪林」

10月の末だった。その日、冷たい氷雪がだだっ広い平原に横なぐりに降っていた

非業の死をとげた小林多喜二
非業の死をとげた小林多喜二

(三省堂・画報日本近代の歴史10より)

小樽で育ち、北海道拓殖銀行(通称・拓銀。平成10年破たん)に勤務しながら執筆活動にはげみ、独創的なリアリズムを樹立した小林多喜二。現在の閉そくした社会を背景に、代表作「蟹工船」が若者を中心に50万部のベストセラーになり、映画化も果たした。ふたたび注目を集める作家・小林多喜二の死後に発見された「防雪林」の舞台は、岩見沢市北村の幌達布・渡船場といわれる(現・岩見沢大橋付近)。
「防雪林」はアキアジの密漁で石狩川の冬をしのぎ、渾身(こんしん)の力で地主に抵抗する若者の姿を通して、当時、日本各地で起こった「小作争議」を独自の視点で描く。「小作争議」とは、小作農民が地主に対して条件の改善などを求めた農民運動で、北海道は全国一の小作地帯だったため、多くの小作争議を生んだ。この状況は、「防雪林」より「不在地主」にくわしく書かれている。「防雪林」は小作争議を通して、石狩川の大自然とともに生き抜く若者の姿が骨太に描かれている。
*参考資料/岩見沢市史
黒い布で眼かくしされているように暗かった。見るとそのなかに、しかし眼をひよいと疑う程に、鱗光(りんこう)が、ひらめいた。その次にすぐ、力強い、水をたたきつける音が起った。
「秋味だ!」源吉は大きな声を出した。「でけえど、でけえど」だんだん水の「ばぢやばぢや」がひどくなってきた。子どもが水のかけ合いでもしているようだった。そのうちに、二、三匹は砂浜にはね上ったらしく、その肉付きの厚い身体を打ちつけながら、あばれた。源吉は勝に網をひかせて、自分は棍棒(こんぼう)をもつて、川岸に降りた。網のそばまでくると、源吉は、心分量で十匹以上鮭が入っていることがわかった。いきなり横っ面をたたきつけるように、尾鰭(おびれ)ではじかれて、水と砂がとんできた。
(本文を一部抜粋して現代文に書き換え)
小林多喜二

  秋田県に生まれ、4歳の時に小樽に移住。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)へ入学後に執筆活動を深め、労働運動にも参加するようになる。卒業後は北海道拓殖銀行小樽支店に勤務しながら、昭和4年に「蟹工船」を発表し、一躍プロレタリア文学運動を代表する作家になった。しかし、警察から要注意人物としてマークされ、拓銀を解雇される。昭和8年に逮捕され、東京・築地署で拷問により死亡。享年29歳。代表作「蟹工船」「不在地主」「1928年3月15日」ほか

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