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明治43年頃:空知川流域-暮らし・社会【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 空知川流域 暮らし・社会

  • タイトル

〈この時代のおもな出来事など〉

滝川市制施行記念パレード

戦後復興を支えた上砂川、赤平、芦別、歌志内の産炭地は、昭和20~30年代頃に人口のピーク をむかえ、炭鉱街は活気にあふれた。上砂川は砂川に属していたが人口が母村を上回るほどで、昭和24年の独立と町制の施行はまちの長年の願いだった。30年には滝川と上富良野に陸上自衛隊が駐屯するなど、空知川流域は新しい幕開けをむかえた。
そして大正15年に十勝岳が大噴火し、上富良野の草分地区と日新地区は未曾有の被害を被った。多量の泥土や岩石などに埋めつくされ、被災地の復興か放棄かが大問題になった。「再建はむずかしい」といわれるなか、当時の吉田貞次郎村長は復興を決断し、復興不能地38戸は美瑛に移住したが、それ以外の被災農地は長い時間と労力をかけ、美田を取り戻したのである。

北海道のへそのまち

大正3年、京都大学の教授等一行が富良野小学校の校庭に、地球重力の測定・天文観測・経緯度測定のため、長さ95cm、幅65cm のコンクリートの台座を建てた。台座の地点は北海道の中央にあたることから、「北海道中心標」と呼ばれた。北海道の「へそ」を証明する「北海道中央緯度観測標」を保存・普及するため、中心標公園(東経142度23分・北緯43度20分)が富良野小学校校庭の一角に整備された。
北海道中央緯度観測標は、昭和46年に富良野市の文化財に指定され、「北海道のへそ」にちなみ、毎年7月28~29日には「北海へそ祭り」が盛大に行われている。
*参考資料/富良野市生涯学習センター・歴史と郷土芸能、「ヘソ文化考」 富良野市郷土研究会

歌志内郷土料理・なんこ

なんこ鍋
なんこ鍋

(歌志内市蔵)

馬の腸をやわらかくなるまで煮込んで、ミソで味付けした「なんこ」鍋が、歌志内の炭鉱街で食べられていた。「なんこ」は秋田や新潟などの方言で馬肉のことを指す。秋田の炭鉱員が歌志内の炭鉱に移ったことで伝わり、馬肉から馬腸料理へと形を変えていったものと思われる。
炭鉱の衰退とともに消えつつあったが、歌志内では隠れた名物になっていて、「うたしないチロルの湯」のレストランや市内の飲食店で味わうことができる。
*参考資料/歌志内市・郷土料理「なんこ

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