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明治43年頃:空知川流域-流域の文学【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

明治43年頃(明治43年~昭和34年頃) 空知川流域 流域の文学

  • タイトル

三浦綾子「泥流地帯」「続泥流地帯」

「ドドーン」「ドドーン」大音響を山にこだましながら、見る間に山津波は眼下に押し迫り、三人の姿を呑みこんだ

大正15年5月24日、十勝岳は大噴火し、残雪を融かして一大泥流になり、上富良野に一気に押し寄せた。市街から一里以上も奥に入った日進地区で、貧しさに耐えつつ誠実に生きる拓一と耕作兄弟。ようやく母が帰ってくると決まった日に、泥流は容赦なく襲いかかった。田畑はもちろんのこと、兄弟の家とともに祖父母と妹姉まで、泥流は何もかもをのみ込んだ。地獄と化した泥流の地を離れる者も多いなか、拓一と耕作は祖父と父が苦労の末に開いた農地を、もう一度実りの美田にしたいと鍬(クワ)を手にする。そんな兄弟に苦難がさらに襲いかかる。
「泥流地帯」「続泥流地帯」は、大正15年に起こった十勝岳大噴火の惨事を克明に描くとともに、兄弟の苦闘の青春を通じて、人生の試練の意味を問いかける。「ひとはどのように生きたらいいのか」という、三浦文学の主題が貫かれた「泥流地帯」は、昭和51年に北海道新聞の日曜版に、「続泥流地帯」は53年に連載された。また代表作「氷点」など、何度も描かれた旭川の外国樹種見本林内には、「三浦綾子記念文学館」があり、三浦文学を発信している。
*参考資料/石狩川の碑、新潮社書籍詳細
  • 上富良野町の草分神社境内に建立された文学碑「泥流地帯」 上富良野町の草分神社境内に建立された文学碑「泥流地帯」

    題字は三浦綾子氏による(「石狩川の碑」より)

  • 旭川市神楽にある三浦綾子記念文学館 旭川市神楽にある三浦綾子記念文学館

    (旭川市観光課蔵)

あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿くさかったとは思わんぞ。もう一度生れ変わったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ (本文の拓一の言葉を抜粋)
三浦綾子

大正11年、旭川に生まれる。旭川市立高等女学校を卒業後、7年間の小学校の教員生活のなかで、昭和13年には歌志内に赴任した。昭和21年の退職後から肺結核を発病し、闘病中の27年には洗礼を受ける。昭和38年、雑貨店を営みながら執筆した「氷点」が、朝日新聞社の懸賞小説公募に入選し、翌年から朝日新聞朝刊に連載され、出版されると大ベストセラーになり映画化も果たす。以降、次々に話題作を発表するも、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみ、平成11年、「旭川リハビリテーション病院」にて逝去。享年77歳。代表作「氷点」「続氷点」「塩狩峠」「銃口」ほか

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