昭和35年頃:石狩川右岸流域-概要【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 石狩川右岸流域 概要
石狩川右岸流域の開発 「石狩湾新港と顔づくり」
昭和42年、旧樺戸集治監庁舎は「北海道開拓百年記念遺跡」に指定され、48年に「北海道行刑資料館」として開館した(現・月形樺戸博物館)。月形は歴史を守り伝えるとともに、切り花の栽培を研究し、北海道を代表する産地へと発展していた。となりまちの浦臼は、規模が日本一のワインづくりが本格化した。
石狩川の下流域は「石狩湾新港」の開発で、大きく動く。石狩に道内最大級の、「石狩湾新港工業流通団地」が開発され、企業の立地と工場の操業が相次いだ。また札幌のベッドタウンとして、大規模団地も造成された。当別もその余波を受け、北欧をテーマに住宅街の開発がまちづくりとともに進められる。昭和43年、石狩川に「新石狩大橋」が完成し、札幌への移動時間がぐっと短縮し、ベッドタウンとして期待されていた。
石狩川の下流域は「石狩湾新港」の開発で、大きく動く。石狩に道内最大級の、「石狩湾新港工業流通団地」が開発され、企業の立地と工場の操業が相次いだ。また札幌のベッドタウンとして、大規模団地も造成された。当別もその余波を受け、北欧をテーマに住宅街の開発がまちづくりとともに進められる。昭和43年、石狩川に「新石狩大橋」が完成し、札幌への移動時間がぐっと短縮し、ベッドタウンとして期待されていた。
- 昭和43年、石狩川に架けられた新石狩大橋。当別はじめ、石狩川右岸流域と札幌との距離が短縮。