昭和35年頃:豊平川流域-洪水実績【札幌開発建設部】治水100年
石狩川流域誌 支川編
昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 豊平川流域 洪水実績
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昭和37年 豊平川洪水氾濫実績図
(捷水路より)
すべてを奪う水害の脅威 昭和36.37年の洪水
昭和36・37年に連続して洪水が発生し、石狩川流域は大きな被害を受けた。豊平川流域では、旧豊平川と厚別川、野津幌川などの中小河川が氾濫し、昭和37年洪水では鉄道の「千歳線」が不通になるなど交通機関も大きな影響を受けた。
豊平川、月寒川、望月寒川、厚別川、野津幌川などが集中する、白石の東米里地区は毎年のように発生する水害に悩まされていた。厚別原野の東米里は、昭和16年の豊平川新水路の切替えで開発可能になった地区だ。翌17年から入植が進められたが、当初は水害の救済事業と、冬の客土やヨシ刈りなどの内職でなんとか切り抜ける生活だったという。東米里小・中学校は、洪水のたびに臨時休校になり、昭和37年洪水では水害給食が出された。
*参考資料/札幌市建設局・札幌の水害の記録、
札幌市白石区役所広報・板橋地区跡
豊平川、月寒川、望月寒川、厚別川、野津幌川などが集中する、白石の東米里地区は毎年のように発生する水害に悩まされていた。厚別原野の東米里は、昭和16年の豊平川新水路の切替えで開発可能になった地区だ。翌17年から入植が進められたが、当初は水害の救済事業と、冬の客土やヨシ刈りなどの内職でなんとか切り抜ける生活だったという。東米里小・中学校は、洪水のたびに臨時休校になり、昭和37年洪水では水害給食が出された。
*参考資料/札幌市建設局・札幌の水害の記録、
札幌市白石区役所広報・板橋地区跡