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昭和35年頃:石狩川右岸流域-歴史のひとこま【札幌開発建設部】治水100年

石狩川流域誌 支川編

昭和35年頃(昭和35年~昭和54年頃) 石狩川右岸流域 歴史のひとこま

  • タイトル

北欧を感じる美しき田園都市・当別

仙台藩支藩の岩出山の藩主達によって拓かれた、
歴史深い当別。サムライ達が夢を託した地は大きな可能性にあふれ、
石狩川流域の発展とともに開花した—
  • 憧れの住宅地として知られるスウェーデンヒルズ 憧れの住宅地として知られるスウェーデンヒルズ

    (石狩振興局蔵・いしかりの風景写真)

石狩湾新港の開発で着目

昭和45年からの「第3期北海道総合開発計画」に、石狩湾新港と周辺地域の開発がとり入れられたが、工業団地などで働く約3万人の住宅の確保が大きな問題になった。宅地開発業者は、石狩の銭函地区の丘陵地から当別の高岡地区に至る広い範囲を調査した。そのなかで当別の獅子内地区の丘陵地と森が着目され、ここに住宅街を建設する構想が持ち上がった。
昭和53年、当時の都倉栄二スウェーデン大使が来町した際、「ストックホルムの郊外の町並みによく似ている」と感想を伝えた。都倉元大使はスウェーデンから帰る際、スウェーデン国王から「交流のための足掛かりをしてほしい」と依頼され、当別に交流施設の建設を勧めた。ちなみに都倉元大使は、ピンクレディーなどのヒット曲を手掛けた作曲家・都倉俊一の父だ。

そのままの自然を活かす

スウェーデン交流センター
スウェーデン交流センター

(当別町蔵)

こうして当別に北欧風のニュータウン、「スウェーデンヒルズ」の誘致が決まった。自然木は保全するなど、自然の地形や景観を活かすよう造成され、当別のまちにとけ込んだ、童話の世界のような美しい街並みが出現した。これを機に当別は、平成14年「美しいまち当別をみんなでつくる条例」(景観条例)を制定し、その後「景観法」をつくり、20年には道内10番目の「景観行政団体」になった。
また昭和61年に「スウェーデン交流センター」が完成し、翌62年にはスウェーデン王国レクサンド市と姉妹都市の提携をむすんだ。交流の証に毎年6月には「夏至祭」が行われ、スウェーデン文化を体験できる機会になっている。国際交流とともに進められたまちづくりは、北海道を代表する美しい田園都市を築き上げた。
*参考資料/当別町・スウェーデン交流センター
  • スウェーデンヒルズの街並み スウェーデンヒルズの街並み

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