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35 大学排水【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

35 大学排水

幻の運河構想と学生義勇軍

昭和12年にはじまった日中戦争から国の統制は厳しくなり、「国民精神総動員運動」と称して、女や子どもなども軍事用の工場や農地に動員された。
その頃、千歳では石狩と苫小牧を運河でむすぶ構想が提唱されていた。運河の掘削は、氾濫を繰り返していた長都沼の干拓、太平洋と日本海をむすぶ航路の開削で、海軍も注目した。こうして、第二次世界大戦の戦局のひとつ「太平洋戦争」の開戦が色濃くなった昭和16年、運河を掘削するために全国の大学・高校生が、ネシコシ原野に動員された。約270名の学生達は、10日間、人力だけで長都沼~千歳川間の約400mの掘削を成し遂げた。工事は戦後、北海道に引き継がれ、延長1,700mが掘削されて農業用排水路として今も利用されている。いつしかこの排水路は、感謝の気持ちを込めて「大学排水」と呼ばれるようになった。学生達はその後戦地に赴き、帰らぬ者も少なくない。ゆかりの地には「学生義勇軍流汗の跡」という碑が建てられ、戦時下にあって活き活きとした若者の姿を今に伝えている(長沼町東6線南16番地)。
  • 大学橋と大学排水 大学橋と大学排水

    (石狩川の碑より)

明治43年頃
  • 名だたる大学の学生が参加した 名だたる大学の学生が参加した

    (川と人第4号より)

所在地
  • 長沼町東6線南~幅広水路 長沼町東6線南~幅広水路

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