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56 美唄川新水路【札幌開発建設部】治水100年

石狩川治水に係わる主な事業

56 美唄川新水路

土地改良の排水路をはじまりに

美唄川は、かつて美唄駅付近から石狩平野の中央をゆるやかに曲がりくねって流れ、美唄太(岩見沢大橋付近)で石狩川に注いでいた(旧美唄川)。この一帯は、石狩平野のなかでも泥炭層が広く分布し、なおかつ低平地のため洪水の常襲地帯だった。
美唄川新水路のはじまりとなったのは、農業事業だった。大正10年から、まず土地改良事業として、美唄の葵農場から石狩川に切り替える約1,900mの新水路(当時は排水路)を掘削して12年には通水し、河道の改修を経て14年に完成した。しかしその後も、美唄川の氾濫は治まらず、昭和2年からの「第2期北海道拓殖計画」でこの新水路を拡張するなど治水事業として計画されたが、昭和7年から9年にかけて一部実施されただけで、本格的な整備は戦後以降になる。
そして昭和41年洪水を契機に、岩見沢市街地の美唄川が大きく曲がる蛇行(だこう)部のショートカットなどが45年から行われた。幾春別川と美唄川、旧美唄川の治水は、長い年月のなかで少しずつ進められ、幾春別川新水路事業につながっていく。
  • 美唄川(下)は産化美唄川(上)と合流して石狩川へ 美唄川(下)は産化美唄川(上)と合流して石狩川へ

    (石狩川開発建設部蔵)

明治43年頃
  • 石狩川1〜2区治水工事平面図(昭和12年現在) 石狩川1〜2区治水工事平面図(昭和12年現在)
所在地
  • 美唄市開発町北~元村橋下流 美唄市開発町北~元村橋下流

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