災害の歴史
災害の歴史
■History of protection against disasters
年 代 | 災 害 | 河 川 | 砂 防 |
明治31年 | 連続9日間の大豪雨。死傷者6名。 | 道庁に北海道治水調査会発足。 | |
明治32年 | 石狩川調査(石狩川河口-現旭川市永山町間)。 | ||
明治34年 | 石狩川、忠別川、美瑛川を調査。浚渫、流木処理を実施。 | ||
明治37年 | 降雨群により河川氾濫。旭川駅付近浸水。死傷者1名。 | ||
明治43年 | |||
大正 4年 | 低気圧停滞による豪雨。死傷者56名、家屋流失半壊1,459戸。 | 第1期拓殖計画策定。石狩川と忠別 川で初の築堤護岸工事実施。 | |
大正11年 | 台風の影響による連続6日間の豪雨。 | ||
大正15年 | 十勝岳噴火により死傷者144名。 | ||
昭和元年 | |||
昭和 4年 | 牛朱別川切替え工事実施。 | ||
昭和 7年 | 低気圧と前線による大豪雨。氾濫面 積2,254ha。 | 旭橋完成。 | |
昭和 9年 | 旧河川法改正。石狩川が適用河川に認定。 | ||
昭和22年 | 集中豪雨による影響。 | 石狩川、忠別川、美瑛川、無堤地区解消へ事業本格化。 | |
昭和23年 | 忠別川東神楽治水事業所、忠別 川西神楽治水事業所設置。 | ||
昭和24年 | 石狩川永山治水事業所設置。近文ほか5箇所で築堤工事着手。美瑛川切替え工事着手。 | ||
昭和25年 | 補助事業開始。 | ||
昭和26年 | 北海道開発庁設置。 | ||
昭和27年 | 第1次5カ年計画スタート。永山ほか7箇所で築堤工事着手。 | ||
昭和28年 | 前線の南下、停滞による豪雨。小河川が氾濫。 | ||
昭和29年 | 洞爺丸台風により大雪山系の森林被害大。 | ||
昭和35年 | 第2期北海道総合開発計画、治水10カ年計画閣議決定。前期5カ年計画で築堤、堀削を促進。 | ||
昭和36年 | 直轄による事業調査開始。 | ||
昭和37年 | 十勝岳噴火により死傷者5名。 [写真提供:北海道新聞S37.6.30] |
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昭和40年 | 新河川法施行。石狩川が一級河川に指定。石狩川工事実施基本計画策定。新治水事業5カ年計画スタート。 | ||
昭和41年 | 気層不安定の影響。 | ||
昭和45年 | 前線停滞による豪雨。旭川市永山地区等で氾濫浸水。 牛朱別川の氾濫(写真) |
クツウンベツ川に北海道の直轄第1号砂防ダム着手。 | |
昭和50年 | 台風6号と前線により河川氾濫。旭川市と周辺町村で被害大。 | ||
昭和56年 | 低気圧と停滞前線による豪雨。死傷者2名、家屋浸水2,258戸。 8月水害発生 [写 真提供:北海道新聞S56.8.5] |
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昭和57年 | 工事実施基本計画改訂。 | ||
昭和59年 | 牛朱別川分水路用地補償着手。 | ||
昭和62年 | 牛朱別川分水路堀削工事着手。 | ||
昭和63年 | 白金温泉地区の住民72名が避難。 十勝岳噴火(写真) |
牛朱別川流水保全水路整備事業着手。 | 火山泥流対策基本計画策定。 |
平成元年 | 十勝岳直轄火山砂防事業開始。 | ||
平成3年 | 忠別川消流雪用水導入事業着手。 | 白金流路工竣工。 | |
平成4年 | 人工営巣ブロック設置開始。 | 十勝岳火山砂防情報センターオープン。 | |
平成7年 | 石狩川緊急用河川敷道路、消火用水取水施設建設に着手。 | ||
平成9年 | 第9次5カ年計画スタート。牛朱別 川分水路暫定断面完成。 |
お問合せ先
旭川河川事務所
住所:旭川市永山1条21丁目3番21号 電話番号:0166-48-2131
治水課
住所:旭川市宮前1条3丁目3番15号 電話番号:0166-32-4245
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