岩尾内ダムの歴史
開拓者と天塩川
天塩川流域の開拓者を待っていたのは、冷害や凶作でした。大正2年凶作、昭和6、7年の冷害、昭和9、10年冷害、昭和31年冷害等、冷害と凶作の歴史が繰り返されました。 夏の渇水時には天塩川の水をめぐり、争いが起こったとも言われています。 |
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水害の歴史
天塩川流域に住む人々を襲ったのは、冷害や凶作ばかりではありませんでした。毎年のように繰り返される「洪水」。大正8年の水害、昭和28年、昭和30年と発生した水害は流域に甚大な被害を残しました。 後に、岩尾内ダムの完成で流域の洪水の被害は減少することになります。 |
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ダム建設へ
ダムの建設は、流域の人々の悲願でした。 昭和38年4月 旭川開発建設部岩尾内ダム調査事務所開設 |
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完成までに5年有余の歳月、総額71億3000万円の事業費を要し、岩尾内ダムが完成に至りました。 | |
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岩尾内ダム管理支所

国土交通省 北海道開発局 旭川開発建設部 名寄河川事務所
岩尾内ダム管理支所
〒095-0403 士別市朝日町岩尾内7314番地
TEL:0165-28-2301 FAX:0165-28-3679
岩尾内ダム管理支所
〒095-0403 士別市朝日町岩尾内7314番地
TEL:0165-28-2301 FAX:0165-28-3679