WEB広報誌 かいはつグラフ2009.7 かいはつアーカイブス
函館港みなとづくり(前編) -開港150周年を迎えて-
開港から50年のあゆみ(1859年~1909年)
函館港は「綱知らずの港」と古くから言われた天然の良港で、松前藩のもとで蝦夷地の主要な交易港として松前港や江差港とともに発展してきました。
さらに1859年(安政6年)の開港以降、北海道の発展を支える近代港湾としての整備が進むことになります。
函館港の整備の歴史と港が果たしてきた役割について、開港の年から追って紹介していきます。
さらに1859年(安政6年)の開港以降、北海道の発展を支える近代港湾としての整備が進むことになります。
函館港の整備の歴史と港が果たしてきた役割について、開港の年から追って紹介していきます。
- 1890年(明治20年)代の函館港(市立函館図書館蔵)
- 函館港イメージ図
わが国最初の貿易港
函館港は、1859年(安政6年)6月2日、日本初の貿易港として、横浜、長崎とともに開港しました。函館市では、この日を新暦に当てはめ、7月1日を開港記念日としています。アメリカの艦船「モーレー号」が函館港入港の第1船でした。
近代港湾の父「廣井勇」
開港以降、外国からの蒸気船が入港するようになるなど、函館港は大型船舶に対応した整備が必要になってきます。
1890年(明治23年)に始まった近代港湾整備の先駆者・広井勇博士による港湾調査(明治23~27年)の後、1896年(明治29年)同博士の調査・設計に基づき、第1期函館区営改良工事が実施されました。
1890年(明治23年)に始まった近代港湾整備の先駆者・広井勇博士による港湾調査(明治23~27年)の後、1896年(明治29年)同博士の調査・設計に基づき、第1期函館区営改良工事が実施されました。
- 第1期函館区営改良工事(外海からの波浪や標砂から港内を守るために防波堤や造船用のふ頭を弁天地区に造成し、港内を深くするために浚渫工事を実施しました。)
国鉄青函航路の始まり
1908年(明治41年)3月、青函連絡航路に蒸気タービン船「比羅夫丸」が就航。翌4月には、「田村丸」も就航し、北海道(函館)と本州(青森)の鉄道を結ぶ鉄道連絡船の歴史が始まりました。
- 1908年(明治41年)青函連絡航路に「比羅夫丸」就航(市立函館図書館蔵)
函館港改良工事記念碑
広井勇博士の功績を記した記念碑は、現在の函館漁港の近く(函館市入舟町)に立っています。
- 記念碑