WEB広報誌 かいはつグラフ2009.8 かいはつアーカイブス
函館港みなとづくり(中編) -開港150周年を迎えて-
開港後50年から100年のあゆみ(1910年~1959年)
函館市が函館「区」から「市」になったのは、1922年(大正11年)です。北海道では、札幌などと共に函館を含めて6都市に市制が施行されました。
函館港は、水産物を中心とした内外貿易港として成長し、先進商業港として発展してきましたが、サケやマスなどの北洋漁業、樺太漁業の隆盛により、その拠点港としての色合いを強めていきます。サケやマスは缶詰に加工され、主にヨーロッパなどに輸出されるようになりました。
函館港は、水産物を中心とした内外貿易港として成長し、先進商業港として発展してきましたが、サケやマスなどの北洋漁業、樺太漁業の隆盛により、その拠点港としての色合いを強めていきます。サケやマスは缶詰に加工され、主にヨーロッパなどに輸出されるようになりました。
北海道第1期拓殖計画
工業の急速な発達を背景に、函館港では1910年(明治43年)、北海道第1期拓殖計画に基づく大規模な港湾整備が行われ、防波堤や防砂堤が建設されました。これにより問題となっていた港内の土砂の堆積が防止され、港の利便性も高まりました。
掘削後に、鉄筋を挿入してコンクリートを打設する作業
(場所打ちコンクリート)の施工状況
(場所打ちコンクリート)の施工状況
七重浜地区に現存する延長485mの防砂堤
1993年(平成5年)に南西沖地震で沈下しましたが、復旧工事が行われました。
1993年(平成5年)に南西沖地震で沈下しましたが、復旧工事が行われました。
第1回函館港まつり
1859年(安政6年)の開港から77年目を記念して、7月1日を開港記念日と決め、1935年(昭和10年)第1回函館港まつりが行われました。1943年(昭和18年)に太平洋戦争の影響で一時中断されましたが、終戦翌年の1946年(昭和21年)には無事復活し、盛大に行われました。
その後、1966年(昭和41年)から8月に開催されるようになり、多くの函館市民に親しまれています。
その後、1966年(昭和41年)から8月に開催されるようになり、多くの函館市民に親しまれています。
海上輸送の拠点
1925年(大正14年)、青函連絡船の大型化に伴い、鉄筋コンクリート製の係船岸壁、若松ふ頭が供用されます。函館港は本州との玄関口としても発展していきます。
1951年(昭和26年)函館港は海外や国内の海上交通の基地として、重要港湾に指定され、第1期北海道総合開発計画のもと港湾整備が進められます。そして、1958年(昭和33年)函館市民の長年の悲願であった大型船が横付けできるふ頭、中央ふ頭が完成しました。
1951年(昭和26年)函館港は海外や国内の海上交通の基地として、重要港湾に指定され、第1期北海道総合開発計画のもと港湾整備が進められます。そして、1958年(昭和33年)函館市民の長年の悲願であった大型船が横付けできるふ頭、中央ふ頭が完成しました。
- 中央ふ頭建設状況(上部コンクリート打設)
- 中央ふ頭建設工事全景
現在の函館港
参考資料:函館市史